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日本代表 7年前

岡田監督解任論が消えなかった南アW杯予選。2試合残し突破もオーストラリアには勝てず【アジア予選激闘史】

シリーズ:ワールドカップ・アジア予選激闘史 text by 元川悦子 photo by Getty Images

犬飼会長の発言で再び高まった岡田監督解任論

オシム監督の急病を受け、再び日本代表監督に就任した岡田武史氏
オシム監督の急病を受け、再び日本代表監督に就任した岡田武史氏【写真:Getty Images】

 基本布陣は4-4-2。GK楢崎正剛(名古屋)、DF(右から)内田、田中マルクス闘莉王(京都)、中澤佑二(横浜)、阿部勇樹(浦和)、ボランチ・長谷部、遠藤保仁(G大阪)、2列目・松井大輔(オドラオポーレ)、中村俊輔(磐田)、FW玉田圭司(名古屋)、田中達也(新潟)というイレブンで挑み、中村、遠藤、途中出場の中村憲剛(川崎)が3点を奪うことに成功。終盤は相手の追い上げで2点を失ったものの、最大の鬼門と見られた相手に白星スタートを切ることができた。

 ところが、続く10月のホーム・ウズベキスタン戦(埼玉)を4-2-3-1の新布陣で挑んで1-1で引き分けると、岡田監督への逆風が一気に吹き荒れる。先発した香川、途中出場した岡崎慎司(レスター)、興梠慎三(浦和)ら若手も迫力不足で、攻撃陣には手詰まり感さえ感じられた。

 2戦終了時点で勝ち点4とバーレーンと並び、6のオーストラリアに差をつけられた。「次の11月のアウェイ・カタール戦(ドーハ)に負けたら監督解任か」という見方も強まり、次戦は絶対に失敗できない状況に追い込まれた。

 重要な天王山に中澤が不在。ベテランとはいえ、代表経験の少ない寺田周平(川崎U-15監督)が抜擢されるなど、守備陣には不安も少なくなかった。それでも、岡田監督は強気の姿勢を貫き、トップ下に田中達也、1トップに玉田圭司を起用。

 その2人がゴールという結果を出し、さらには闘莉王もダメ押し点をゲット。まさに想的な試合運びで3-0で勝利し、勝ち点2差で首位・オーストラリア追走体制に入った。指揮官は解任論も見事に一蹴し、年を越すことに成功した。

 2009年は2月のオーストラリア戦(横浜)を皮切りに、3月のバーレーン戦(埼玉)、6月のウズベキスタン(タシケント)・カタール(横浜)・オーストラリア(メルボルン)3連戦というスケジュール。一番のポイントはもちろんホーム・オーストラリア戦だった。

 日本サッカー協会の犬飼基昭会長が「ホームで負けたら致命的。勝ち点3じゃなければダメ」と発言したことで、再び「負ければ監督交代か」という声が高まったのだ。

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