4年前の経験。本田が熟知する最大のポイント
4年前の2013年6月4日、埼玉スタジアム。日本は相手左サイドのクロスがそのままゴールに入るという後半37分の不運な失点によって0-1のまま後半アディショナルタイムを迎えた。
絶体絶命のピンチに直面した彼らは右CKをゲット。清武弘嗣(C大阪)とのワンツーから本田圭佑(パチューカ)が強引な突破を見せ、中央に折り返したボールがペナルティエリア内で相手DFの手に当たり、PKを得た。想像を絶する重圧の中、背番号4はゴールど真ん中を狙うという強心臓を見せ、1-1に持ち込むことに成功する。この勝ち点1によって、日本は2014年ブラジルワールドカップ出場権を手にしたのである……。
殊勲のPKを決めた男・本田は、同じ相手と同じ場所で3日後に迫った2018年ロシアワールドカップ最終予選大一番を前に、「『慎重さ』より『強気』。僕はこの試合のテーマをそう思っています」と彼は改めて強調した。4年前の経験から、メンタリティこそが勝負を分ける最大のポイントだと熟知しているからこそ、そう語ったのだろう。
当時と現在では、本田を取り巻く環境は劇的に変化した。2013年夏時点の彼はCSKAモスクワとの契約満了寸前。欧州ビッグクラブから熱視線を送られていた。日本代表でも絶対的エースに君臨しており、本田がトップ下にいない試合は必ずと言っていいほど大苦戦を強いられた。
本人は2011年アジアカップ(カタール)でMVPを獲得した際、「日本代表で攻撃を仕切ることが夢でもなんでもない。自分が何のためにサッカーやってんのかって考えた時に、やっぱりもっとうまくなりたい、強いやつらに勝ちたい、世界中に認められたい」と鼻息が荒かったが、その言葉通り、上へ上へと上り詰めることだけを考えていたはずだ。
しかし、4年の月日が経過した今はACミランと契約延長をせず、欧州を離れてパチューカにプレー環境を移したばかり。ミランで定位置を取れなかったことで、日本代表でも控えに回ることが増え、今回の最終予選はここまで8戦のうち先発5試合。フル出場は昨年9月の初戦・UAE戦(埼玉)と今年6月のイラク戦(テヘラン)の2戦だけだ。