ここぞで頼りになったベテランの力。空気変えた「アブダビの夜」
結局、中田合流がチームにとって大きな波紋となってか日本はイランに1-2で完敗してしまう。相手エースFWハシェミアンに奪われた2失点は4バックのサイドが引き出され、中央のスペースがポッカリ空いた結果、生まれたもの。後から振り返ると、このイラン戦はジーコジャパンの結末を象徴するようなゲームだったのかもしれない。
だが、予選はこれで終わらない。5日後のホーム・バーレーン戦(埼玉)に向け、立ち上がったのが三浦淳宏(解説者)、宮本恒靖(G大阪U-23監督)、福西といった選手たちだった。「このままじゃダメだ」と危機感を持ち、アサディスタジアムからホテルに帰るバスの中から話し合いを始めたのだ。
「バーレーン戦もすぐ迫っているし、こんな雰囲気じゃダメだと喧々諤々になりました。アツさんも言ったし、俺も言ったし、ヒデも言った。それでツネが1人1人に4-4-2と3-5-2とどっちがやりやすいかを聞いて、結局3バックに戻しましょうとジーコに提案したわけです」と福西は証言する。
キャプテン・宮本は帰国便の中で指揮官に布陣変更を直談判。その要求が通り、バーレーン戦は最終ラインに田中誠を戻し、小野を外して福西・中田というダブルボランチで戦った。この試合も大苦戦を強いられたが、選手たちには落ち着きが感じられた。奪ったのはオウンゴールによる1点のみだったが、勝利には違いない。日本は立ち直りのきっかけをつかんだかに見えた。
そのまますんなり行けばよかったのだが、6月のアウェイ・バーレーン(マナマ)・北朝鮮(バンコク)2連戦を前に挑んだキリンカップでペルーとUAEに連敗。再びチームに不穏な空気が流れ始めた。彼らは5月末から直前合宿地・アブダビへ赴いたが、そこで立ち上がったのがまたもやベテランだった。
「『アブダビの夜』って言われてるミーティングを開いたんですね。アツさん含めて1つにまとまらないといけないという機運が高まってね。それでツネが全員を呼んで、リラックスルームに集まったんです。みんなで輪になってイスに座って、最初にアツさんが力を込めて言いました。『オレはワールドカップに行きたいんだ』と。
オレも『だったらベンチのやつも一緒に戦わなきゃいけないだろう』と続けました。その後、1人1人が考えていることを喋りました。代表でそんなことをやったのは初めて。でもみんな思いを吐き出して、すごく一体感が高まったんじゃないかな」と福西は12年前に思いを馳せる。
やはりベテランの力はイザという時に大きな意味をもたらす。そこは誰もが肝に銘じておくべき点だ。