第一報からわずか2日後に発表された電撃移籍
ほとんどの“移籍”は電撃的に決まるものだ。ことは水面下で着々と進んでおり、一報が出た時には、大勢は決している場合が多い。
8月19日付の『ビルト』紙の地方版に、次のような内容の記事が掲載された。決して大きくはない。だが、インパクトは十分だった。
「昨日、彼の代理人と一緒にアツト・ウチダ(29)はマネージャーのクリスティアン・ハイデル(54)と会談した。テーマはこのディフェンダーの未来である。ビルトは知っている:右サイド(カリジュリ、シェプフ、コケ)の激しい競争のために、ドメニコ・テデスコ監督(31)は既に日本人にほとんど出場機会がないことを伝えた。おそらく去るだろう」
ハイデル氏は「内田篤人が我々のところにやってきて、移籍の機会を申し出た」と説明する。プレシーズンこそ出場機会を得ていた内田だったが、14日に開催されたDFBポカール1回戦のBFCディナモ戦ではベンチ外。
昨年の12月8日にヨーロッパリーグのRBザルツブルク戦で実戦復帰して以来、右膝の状態が悪化することはなく、コンディションに問題はなかった。よってBFCディナモ戦でのベンチ外は、『ビルト』紙が報じたとおり、内田がテデスコ監督にとって構想外であることを意味した。
そして21日午後には『ベルリナー』が「決まった!日本人のウチダがウニオン・ベルリンでサインした」と報じる。ウニオン・ベルリンはブンデスリーガ2部所属のクラブ。監督はかつてシャルケで共闘したイェンス・ケラーだ。
同日付でクラブ公式HPも内田の完全移籍を発表。また、同様にシャルケの公式HPも「記録的な速さでファンのお気に入りとなった」内田のウニオンの移籍を発表した。『ビルト』紙の第一報から、わずか2日後のことである。