山あり谷ありだったハーフナーのキャリア
ハーフナー・マイクのキャリアは順風満帆と言えるだろうか。
横浜F・マリノスでプロデビューを果たすも、アビスパ福岡とサガン鳥栖へ2度のレンタルを経験したのちに当時J2のヴァンフォーレ甲府へ移籍。そこでJ2得点王を獲得する活躍を見せてJ1昇格に貢献し、在籍2年目となった2011年はJ1で日本人トップの17得点を記録した。
甲府時代の2011年に日本代表初招集、デビューも果たす。その実績を提げて2011年12月、オランダ1部のフィテッセへと移籍。念願だった欧州挑戦を叶えると、2年半で26ゴールを挙げ、スペインへと旅立った。
しかし、ここでキャリア最大の逆境にぶち当たる。2014/15シーズン開幕前、2部からの昇格組コルドバに加入したハーフナーだったが、ウィンターブレイクまでの半年間でピッチに立ったのはわずか5試合のみ。ゴールからも遠ざかった。
結局スペインでの挑戦は半年で終わりを迎え、およそ3ヶ月の無所属期間を経てフィンランドリーグの強豪HJKヘルシンキへ移籍。ここでも半年プレーしたのち、2015年夏にADOデン・ハーグへ籍を移しオランダリーグに復帰した。
チームの絶対エースとして活躍していた2016年2月中旬、雪が降る中で行われたエクセルシオール戦で1ゴール2アシストを記録し、日本代表への復帰論が高まっていた頃、ハーフナーは「1年消えていたというのはマイナスでしかなかった」とこぼしていた。
この1年とはコルドバとHJKヘルシンキでプレーしていた時期のことだ。フィテッセとの契約が満了になるタイミングで、オランダ国内でステップアップする選択肢もありながらスペイン行きを選び、キャリアが1年間停滞してしまった。
実際、オランダに復帰した初年度は16ゴールを挙げて欧州主要1部リーグでの日本人最多得点記録を更新。チームの1部残留にも大きく貢献して、日本代表復帰も果たした。キャリアは再び軌道に乗ったかに思われた。
ところがゼリコ・ペトロビッチ監督を迎えてスタートした2016/17シーズン、ハーフナーは絶不調に陥る。ゴー・アヘッド・イーグルスとの開幕戦で2ゴールを挙げたものの、その後はパタリとゴールが途絶え、前半戦はわずか3ゴールに終わった。