チーム状況を考慮し「本当に悩みました」
この10日あまりで、取り巻く状況が劇的に変わった。インゴルシュタットから、レターを伴った正式なオファーが届いたのが7月下旬。当初は関根本人も悩み、レッズ側からも慰留された。
大宮アルディージャに苦杯をなめさせられた4月30日の第9節を境に、レッズはまさかの失速を余儀なくされた。手がつけられなかったそれまでの絶好調ぶりから一転して、失点と黒星とを重ねていく。
北海道コンサドーレ札幌に0‐2の完敗を喫してから一夜明けた7月30日には、2012シーズンから指揮を執ってきたミハイロ・ペトロヴィッチ監督を解任。堀孝史コーチを新監督にすえる荒療治が施された。
チームが最も揺れた時期に、オファーが届いたことを知った。もともと海外志向は強く、今シーズンに入ってからは、試合後の取材エリアなどでも「行きたいですよね」と、はばかることなく公言してきた。
この夏に移籍するチャンスは、もうないかもしれない――そう思い始めてもおかしくはないタイミングで、目の前に新たな道が開けた。逡巡した胸中を、関根はこんな言葉で振り返っている。
「急にオファーが届いて、チームがこういう状況のなかで本当に悩みましたけど……」
いまも畏敬の念を抱き続ける、FW原口元気(ヘルタ・ベルリン)へ国際電話をかけた。ジュニアユース、ユース、そしてレッズと眩しい背中を見せ続けてくれた先輩から、単刀直入に聞かれた。
「お前の気持ちはどうなんだ。行きたいのか、行きたくないのか」
その瞬間、視界が一気に晴れた気がした。決して長くはないサッカー人生を、どのように歩んでいくべきか。トップチーム昇格から4年以内には海外でプレーする、という目標をあらためて思い出した。
昨シーズンのブンデスリーガ1部で17位に終わったインゴルシュタットは、今シーズンを2部で戦っている。すでに開幕している新シーズンでは、連敗スタートを喫した。それでも、関根から迷いは消えた。
「(原口)元気くんに単純な質問をされたときに、自分も『行きたいです』と素直に言えた。それが移籍するにあたって、自分にとっては決め手になった。海外で挑戦できることでさらにステップアップして、1部にあがって、自分のもっているものをさらに出して、どれだけ世界を通用するのかを試していきたい」