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Jリーグ 7年前

横浜F消滅を経験、選手バス運転手が抱いた疑問「なんで横浜だけひとつに?」【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

10年続けるつもりが5年で終わるとは

 当時はパンチパーマだったから「あの人、ジーニョの親父さん?」とか言われたこともありましたね(笑)。ロッカールームで円陣を組む時も、輪の中に入れてもらっていました。

 僕自身、ずっと好き勝手に生きてきたし、会社勤めであっても一匹狼のドライバーという気概はあった。だからまさか、こんな形で「チーム」に受け入れてくれるとは思わなかったですねえ。しかもプロのサッカー選手の皆さんに、仲間として受け入れられるなんてねえ。

 だから僕も「自分にできることは何だろう?」って考えて、試合後の移動のときには「今日の試合には痺れました」とか「明日の練習場は戸塚です。アップシューズをお忘れなく」とか、そんな感じでアナウンスしていました。わりと好評だったみたいですよ(笑)。

(10月29日の合併のニュースは)多分、TVで知ったと思います。あれ、新聞だったかな。あんまりよく覚えてないや(苦笑)。それでも、まあショックではありましたよ。(横浜)マリノスも立派な選手バスがありましたから、「ああ、これでお役御免だな」と思いましたね。

 会社からの説明? ありませんよ。球団からも、イースタンからもね。自分から何か聞こうとも思わなかったです。ただ「ああ、そうなんだ」という感じ。

 そりゃあ「なんで合併?」っていう思いはありましたよ。「静岡にも大阪にも2つの球団があるのに、なんで横浜だけひとつにならなければならないの?」っていう疑問みたいなのは感じていました。

 それでも、こっちはハンドル稼業ですから、それ以上のことは踏み込めない。自分のやるべき仕事のことを粛々と続けていくしかないと思っていましたね。

 ですから、あの日のことは実はあんまりよく覚えていないです。ただ、ゲルバスの仕事を10年続けるつもりが、5年で終わるとは夢にも思わなかったですね。

(取材・文:宇都宮徹壱)

後編につづく。文中敬称略】

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