三浦淳宏が集めてくれたカンパ
それで名古屋の工場に行って、現物を見たんだよ。いやあ、参ったね。観光バス時代には乗ったことのないタイプだった。ちょっと専門的な話になるけど、バスって排気ブレーキが主流なんだ。
ところがそいつはリターダブレーキといって、排気ブレーキやエンジンブレーキ以上の制動力が得られる。しかもよくある2段ではなく4段になっていて、(時速)130キロから一気に4段にぶっこむと、すっと100キロまで落ちてくれる。人間の足でブレーキを踏むよりもスムースで賢いんだな。これは完ぺきだと思いましたよ。
僕のゲルバスデビュー戦は、94年3月のゼロックス・スーパーカップ。相手はヴェルディ川崎だったかな。六本木の全日空ホテルから出発したんだけど、(シーズンの)スタートだから選手だけなく全日空の役員さんとかも乗ってきたんだ。
座席は29しかないのに35人も乗ってきて、肘掛けに腰を下ろしている人もいて。あの時は背中一面が汗びっしょりになったねえ(苦笑)。最初は確かスーツで運転していたね。2回目も3回目もそう。
そしたら、マネージャーの人が「山田さん、もっとラフな格好でいいですよ」って言われて、フリューゲルスのロゴが入ったトレーニングウエアをもらったんだ。
選手の皆さんとは、仲良くさせていただきましたね。飲み会にも誘ってもらったし、家族参加のバーベキューにも参加できたし、今となっては全部いい思い出です。そういえばゲルバスに缶ビールを用意していて、試合後に皆さん飲んでいましたねえ。他のチームもやっていたのかな?
ただゾノさん(前園真聖)は、当時は未成年ということもあって飲まなかったね。あの人がヴェルディに移籍するなんて話になったとき、「行くな、絶対に後悔するぞ!」なんて声が、運転している時に聞こえたこともありました。
山口(素弘)さん、薩川(了洋)さん、アツさん(三浦淳宏)、楢崎(正剛)さん、皆さん懐かしいねえ。今も現役なのは、楢崎さんだけですか。
そうそう、こんな思い出もあります。プライベートで神戸での試合を見に行ったんですよ。試合後にロッカールームにあいさつに行って「それじゃあ僕、高速バスで帰ります」って言ったら、山口さんが「山田さん、僕らと一緒にグリーン車で帰ろうよ」と送迎バスに乗せてくれて、アツさんがカンパを集めてくれたんです。「これだけあれば、一緒に帰れるね」って。あの時は泣けてくるほど嬉しかった。