職を転々としたのちに出会ったゲルバス
今日は取材があるっていうんで、仕事で使っていたカバンを引っ張り出してきたんだよ。(ゲルバスの運転手を)辞めてから、ずっとそのままにしていたからね。こういう行程表なんかも、捨てずにちゃんと残っている。昔はこういうの、FAXでやりとりしていたんだねえ。
これはサンちゃん(セザール・サンパイオ)からもらった聖書。ほら、ここにサインが書いてあるでしょ。当時、サテライトを含めて50人くらい選手やスタッフがいたんだけど、全員にプレゼントしていましたね。本当に律儀な人でした。
生まれは昭和21年、今年で71歳。出身は北海道の札幌です。親父は非常に封建的な人間でね、最初は僕を銀行員に、それが難しいとわかると寺に修行に行かせて坊主にしようとしたんだよね。
でも僕は4人兄弟の2番目ということもあってさ、自由奔放な性格というか、ひねくれていたというか。せっかく入った高校も中退して、19歳のときにこっち(関東)に出てきたの。とにかく、誰かに決められるような人生を送るのがまっぴらごめんだった。
ドライバーとして生きていくことは、高校時代からの夢だったね。こっちに来てすぐに大型免許一種を取った。それからゲルバスの運転手になるまで、いろんな仕事をしたよね。最初は日産の座間工場に入って、トラックだとか商用車の部品を運んでいたね。
それから港から船に車を納める仕事とか、タクシーの運転手とか。路線バスの運転手とか。でも何を思ったか、いったん足を洗って飲食店を始めたんだけど、2年ももたなかった(苦笑)。向いてなかったんだね。すぐにハンドル稼業に戻りました。
再びバス業界に舞い戻って、今度は観光バスのドライバーになったの。そのあと平成2年(1990年)にイースタン観光という会社に入って、最初はフジテレビのハイヤーを運転していたんだけど、ある時に部長から「おいヤマ、フリューゲルスというJリーグのチームが選手バスのドライバーを探しているんだが、どうだ?」とお声がかかったんですね。
その時、僕は言ったんです。「実際にバスを見てから決めさせてください」って。幼稚園の送迎バスみたいなのだったら、絶対に嫌だったからね(笑)。