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Jリーグ 7年前

大卒後シンガポールのMVP経てJ1デビュー。“逆輸入Jリーガー”、新潟・河田篤秀の軌跡

text by 藤江直人 photo by Getty Images

シンガポールではリーグ年間MVPに

 言葉も文化も生活習慣もすべてが日本とは異なる、東南アジアの地で幕を開けたチャレンジ。何よりも河田を戸惑わせたのは、ピッチのうえで展開されるサッカーの根本的な違いだった。

「けっこう苦労しましたね。まずはサッカーのスタイル。球際がめちゃくちゃ激しいんですけど、審判もそこまでシビアにファウルは取らない。日本ではファウルを取られるか、あるいはイエローカードが出されるようなプレーが、シンガポールではごく普通なんですよ。

 わかりやすく言えば、相手を削るのが当然という感じですよね。そこまで激しくいくのかと、最初は本当にびっくりしました。でも、そこで自分がワー、ワー文句を言って、その場に倒れているようならダメだったので。2年間プレーして、多少は慣れたという感じですね」

 苦笑いを浮かべる河田にひざから下の部分を見せてもらうと、決して少なくはない傷跡が残っていた。異国の地に無我夢中で順応し、はいあがってきた証に「少しくらい激しく当てられても、というところも生かせれば、2年間も無駄にはならないですよね」と屈託なく笑う。

 1年目の2015シーズンは主にサイドハーフで、21試合に出場して6ゴール。フォーメーションが「5‐4‐1」に変わった昨シーズンはワントップ及び右ウイングバックとして22試合に出場し、13ゴールをマーク。Sリーグ初制覇を含めた、同国内史上初のシーズン四冠独占に大きく貢献した。

 その結果として手にしたのが、年間最優秀選手に当たる『Player of the Year』だった。アルビレックス新潟の関心をも引き寄せるきっかけとなった勲章は、河田のなかでいまも眩い輝きを放っている。

「Jリーグと比べるとレベルは下がるかもしれませんけど、その国のトップリーグでMVPを取るというのは簡単なことではないと思うので。もちろん、MVPを取ったからJリーグですぐにどうこう、ということもないですけど、僕自身は本当に誇らしく思っています。

 自分としても、これでオファーが来たら気持ちよくというか、次のステージにチャレンジできる、という思いもありました。ある程度の結果を出さずに移籍したとしたら、シンガポールでの日々が無駄になってしまう、と思いながらプレーしてきたので」

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