もろ刃の剣となるスピードスターの挙動。度重なった負傷
8月2日は、第41回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会の連覇をかけてFC東京U-18が決勝に臨んだ日でもあった。なぜその日に引退発表記者会見をするのかと、疑問に思うかもしれない。しかし石川直宏を襲った過酷な運命を振り返れば、もし発表の場を設けるならここしかなかったかもしれないと腑に落ちる。
若い時分から石川はカモシカのように大きなストライドで右サイドを飛び跳ね、そしてすばやく敵陣をえぐっていた。
2001年のワールドユースをめざしたU-20日本代表を憶えているだろうか。たとえばU-20サッカートーナメント香港2001の初戦。飯尾一慶のパスに反応した石川は猛烈な勢いでウラのスペースを衝き、ブラジルからゴールを奪った。結果は2-2の引き分け。
PK戦の末に敗れ、つづく3位決定戦ではアルゼンチンに0-1と敗れたが、この試合でも石川は臆することなく相手の左サイドを蹂躙していた。チームとしての結果よりも、石川のように個の力で世界と対峙できる若者が出現したことが衝撃的だった。
しかし強い負荷がかかるスピードスターの挙動はもろ刃の剣だ。いつか自身に牙を剥く。
大きなけがの始まりは2005年9月17日のJ1第24節、横浜F・マリノス対FC東京の一戦だった。ルーカスが脳震盪で倒れた時点でプレーは止まり、形式的に再開の笛が吹かれたもののそのままタイムアップした“事故”のような試合で、石川はクロスを上げるときに脚を傷めていた。診断の結果は右膝前十字靭帯損傷及び右膝外側半月板損傷。長期離脱を余儀なくされた。
好事魔多し。打ち出の小槌と化し、ゴールを量産していた2009年にも悲劇が起きた。10月17日、J1第29節の柏レイソル戦でリーグ戦15点目を決めた瞬間に、今度は左膝前十字靱帯に傷を負った。復帰を急いだが、翌年のワールドカップ出場はかなわなかった。