いくつかのクラブが招聘を試みたスポーツディレクター
エージェント界の大ボスの一人、やはりポルトガル人のジョルジュ・メンデスと親しいのはもちろんのこと、移籍市場に精通し、とくに若手の発掘に長けるといわれるカンポスは、今年5月にレキップ紙に掲載された記事によれば、シルバ、メンディ、グリク、ジェマーソン、シディベ、ファビーニョ、バカヨコ、ルマール、ボシリアといった、モナコの昨季のオールスターメンバーを含む12人のリクルートを主導、ムバッペのプロ契約についても中心となって推し進めた人物であったと、父親のウィルフレッド・ムバッペが同紙に語っている。
しかしカンポスは、自らが構築に携わったチームが優勝カップを掲げたときにはモナコにはいなかった。昨年の6月に去っていたのだ。
「少し休みたい。それに新しい挑戦をしたくなった」というのが本人の言だが、2016年1月から、バスティアの監督を首になって以来浪人していたクロード・マケレレがスポーツ・ダイレクターとして参画したり、フロント陣にもソリが合わない人物がいたというから、クラブ内部の混沌に嫌気がさしたのかもしれない。
彼が成功させたと言われるリクルートについても、そのうちのいくつかはクラブ側が否定していることからも、蜜月は終焉を迎えていたのだろう。
ちなみに、14-15シーズン、わずか13節率いただけでバスティアの監督を首になったマケレレをモナコに推薦したのは、古巣チェルシーのアブラモビッチ会長だと言われている。ロシアつながりでかつてのスター選手を救おうとしたようだが、モナコでも居場所をみつけられずにマケレレは5ヶ月足らずでクラブを去った。
フリーになったカンポスには、マルセイユなどいくつかのクラブが招聘を試みたが、最終的に彼を手に入れたのは、新オーナーを迎えたリールだった。新オーナーであるジェラール・ロペス自身が右腕にと熱望したのだ。