クロップの遺産に呑まれたトゥヘル、志半ばでチームを去る
フンメルス、ギュンドアン、ムヒタリアンといった主力が抜け、また新たにチームを作る必要があったトゥヘル政権2シーズン目も不安定な守備に苦しんだ。攻撃時の選手間の距離が悪く、ゲーゲンプレッシングを上手く仕掛けることができない。ボールロスト時に素早く守備に移るには、自分たちがボールを持っている時の選手同士の適切な距離感が重要となる。
そしてトゥヘルが最終的に辿り着いたのはカウンターだった。守備の改善のために3バックを採用する。左右にウイングバックを配置して、実質的には5バックだ。中盤の人数は2人に削り、前線にはオーバメヤン、ロイス、プリシッチといった縦に速いアタッカーを起用した。重心をやや後ろに置いて、ボールを奪えばすぐに前の3人のスピードを活かして攻め込んだ。
オーバメヤンを、レバンドフスキのようにターゲットマンとして活用することはなかったが、こうしたスタイルは、クロップ時代のサッカーの変形とも言えるだろう。確かに布陣とメンバーは違うが、プレッシング及びゲーゲンプレッシングを軸とするカウンターが本質である。
トゥヘルは、ペップ流を持ち込み、サッキを始祖とするクロップのDNAを利用するつもりが、逆に呑み込まれてしまったのだ。