ベルマーレから離れても、原点は曹監督から学んだ日々に
「僕たちの『湘南スタイル』はどんどん前へ、攻撃だけではなくて守備でも積極的にボールを奪いにいく姿勢を見せること。自分ももっと切り替えなきゃいけないと思った。しっかりと考え直せたからこそ、戻って来られたと自分では思っている。振り返ってみれば、ベンチ外はいい期間でした」
当時はこう語っていた鎌田は、最終的には21試合に出場する。初めて臨むJ1の舞台。テクニックも経験も豊富な対戦相手に、臆する部分もあったのだろう。それでも指揮官が責めることはなかった。
「ミスをしたから外すことは絶対ない。そんなことをしたら選手は伸びない。でも、できることをやろうとしない、自分がわかっているのに向き合わないのはダメ。戦ったことがない相手と向き合うという前提は当然あるけど、その前提を許してしまえば選手の成長曲線が上昇カーブを描くこともないので」
2014シーズンはファジアーノ岡山へ期限付き移籍し、2015シーズンからはエスパルスへ完全移籍。ベルマーレから旅立つ形になっても、鎌田の原点は曹監督から学んだ日々にある。
「やっぱりそこが僕のベースだと思うので、忘れずにやりたいですね。特にハードワークの部分は間違いなくベルマーレで教わった部分だし、それは逆にいまのエスパルスに足りない部分だと思っているので。その部分を自分がやろうと思って、一生懸命プレーさせてもらっています」
だからこそ、チームという垣根を超えて、曹監督が自分を見ていたことが嬉しかった。たった5文字の短い言葉のなかに、祝福、労い、激励、未来への叱咤をふくめたあらゆる思いを感じ取れた。
今シーズンから、背番号を「4」から「5」に変えた。カナダ代表のDFデヤン・ヤコビッチが退団するとを聞き、彼が2年間背負ってきた「5番」を譲り受けたいとフロントへ直訴した。
「去年が『4番』でちょっと苦しい思いをしたので。心機一転したかったのと、僕自身が『5』という数字が好きなので。それでヤコ(ヤコビッチ)がいなくなることを受けて、変えさせてもらいました」
昨年4月のセレッソ大阪戦で、左ひざの前十字じん帯を損傷した。緊急手術を受けるのも、全治6ヶ月の重症で戦列を離れるのも、リハビリに苦闘するのも、サッカー人生で初めての経験だった。