ピッチを離れた私生活から叩き直された青春時代
午後6時キックオフの試合途中から、おそらく鎌田の『LINE』にはメッセージがどんどん到着していたのだろう。一方で曹監督は1時間遅れの午後7時から、敵地で大分トリニータ戦の指揮を執っていた。
試合はスコアレスドローに終わったが、キックオフ前の時点で勝ち点で並んでいたアビスパ福岡がツエーゲン金沢に0‐2で負けたため、勝ち点を44に伸ばして単独首位に立った。
そして、他チームの試合結果を、J1を含めてくまなくチェックしているときに、かつての愛弟子の一人、鎌田が公式戦初ゴールをあげたことを知り、感激のあまりメッセージを送ったのだろう。
曹監督が指揮官としてデビューした2012シーズンのこと。J2戦線で痛快な攻撃的サッカーを展開し、先発メンバーのなかで無得点だったのがゴールキーパーと鎌田だけという時期があった。
当時の主戦場は、3バックで組む最終サインの右ストッパー。ある試合でインターセプトから果敢に攻め上がり、ゴール前でフリーの状態でリターンを受けてシュートを放つも外したことがあった。
「アイツにはゴールを期待していませんから。シュートを打つまではすごくスーパーなんですけど」
試合後の公式会見における曹監督の言葉だ。もちろんダメ出しをしているわけではない。球際の激しさと衰えを知らないハードワークに目を細めながら、さらに成長を期す意味をこめて檄を飛ばした。
「そうですね。ずっと『下手くそだ』と言われていましたからね。ここまで本当に長かったですよね。プロになって10年目ですからね」
当時を思い出す鎌田も、苦笑いを浮かべる。出会いはさらに前へとさかのぼる。ジュニアからベルマーレの下部組織ひと筋で育ち、ユースに昇格した2005シーズン。曹貴裁がベルマーレに招聘された。
前年までセレッソ大阪でヘッドコーチを務めていた曹貴裁は、アカデミー組織全体をサッカー以外の部分を含めて立て直す仕事を託されてベルマーレ入り。2006シーズンからはユースの監督を務める。
「サッカー選手だけではなくて、一人の大人として長い人生で成功できるように、集団生活における行動や言葉使いというものをだいぶ正されました。すごく厳しかったですね」
鎌田が振り返るように、ピッチを離れた私生活から叩き直された青春時代。迎えた2007シーズン。高校最後の年になって、鎌田はいま現在につながる、サッカー人生のターニングポイントを迎える。
それまでフォワードもしくはサイドハーフと攻撃的なポジションを務めていた鎌田は、右サイドバックへの転向を命じられる。まさに青天のへきれきだったが、曹監督の説明は単純明快だった。
「プロとして勝負していくのならば、このポジションだと言われて。あのときにサイドバックになって、いまでは逆によかったと思っています」