C・ロナウドの変化。絶対的でなかった背番号7
玉乃 イスコはバレンシアの下部組織出身なんですよね。あの応援のされ方はマドリーのカンテラ(下部組織)出身と思うくらいですよ。
倉敷 マラガは自分たちの選手だと思っていますよね。2年間在籍していただけなのに。
玉乃 自分たちが育てたような雰囲気出していましたもんね。
倉敷 イスコがいた時のマラガは中東のお金持ちが来て、ルート・ファン・ニステルローイやホアキン・サンチェスを獲得して、黄金メンバーを作ってヨーロッパのカップ戦に出場して喜んでいたら、そこで凄い悲惨な結果になって急降下していった歴史があるんですけどね。
ーーイスコがトップ下として力を発揮し始めると、C・ロナウドが2トップの一角としてプレーする機会が増えました。それは自然な流れなのか、それともジダンがあえてやっていたものなのか、どちらだとお考えですか?
玉乃 自然にやったんじゃないですか。重きを置いたのは中盤だと思うので、前線は3トップだろうが、2トップだろうが、イスコをトップ下に置こうが、実はジダンからするとあまり関係なかったんじゃないかな。それくらい両サイドバックと4人のMFへのこだわりは強かったと思います。トニ・クロースでさえ中央ではなくて「インテリオール」(編注:中盤で守備から攻撃の組み立てまで幅広い役割をこなす選手に対するスペインでの呼称)として左サイドハーフをやっていたこともありました。究極的には前線にC・ロナウドを使わなくてもよかったのではないかというくらいでしたね。
倉敷 僕はC・ロナウドが柔軟になったんだと思います。ポルトガル代表として欲しくて仕方なかったEUROのタイトルを獲ってスタートしたシーズンだったし、あの優勝は彼が監督のように振る舞ったからだという雰囲気になっていて機嫌も良かっただろうし。そういう中で「ジダンが言うなら2トップをやってもいいよ」というところも彼の中にはあったと思います。C・ロナウドをサイドに置いてしまうことの弱点がジダンの頭の中にはあったかもしれないですよ。その辺は上手にやりましたよね。
(解説:倉敷保雄、玉乃淳/構成:フットボールチャンネル編集部)
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