大西洋での最初の1ヶ月間は、まさに受難の日々
24歳の青年にとって理想的な環境ではなかったという考えには同意していただけるだろう。急激な変化やメディアの視線は焦燥感を生み出すものであり、その内気で純粋な性格は彼を苛立ちと不安の塊へと変化させた。
大西洋での最初の1ヶ月間は、まさに受難の日々だった。そう呼んで良いのかどうかは分からないが、柴崎が数週間にわたってサッカーから遠ざかり沈黙の中で苦しんでいたのは確かだ。
練習することさえできず、日本に残してきたばかりの環境を懐かしんでいた。この臆病で細身なアジア人が、最も慣れ親しんだ場所で声を上げる存在になるとは誰も予想していなかった。サッカーのピッチ上という場所で。
3月は彼にとって再起の月となった。バルセロナで数日を過ごし、島に戻ってホテルと生活習慣を変えると、正常にトレーニングを積み始めた。その頃になるとチームメートたちは、驚いた様子で彼を称賛し始めた。彼はピッチ上のプレーで話をするためには口を開く必要のない選手だった。サッカーという共通言語を使用するため、足にボールを持ちさえすれば良かった。
順調な前進を遂げた彼に、エリオドロ・ロドリゲス・ロペスの扉は開かれた。スペインサッカーの歴史を刻んできたスタジアムだ。ガクがその3ヶ月前に2得点を奪って屈辱寸前にまで追い込んだ強大な欧州王者は、過去に2度、最終節の終了間際にここでリーガタイトルを失っている。バルダーノやハインケス、ベニテスといった者たちが、この島のサッカーの物語の最も輝かしいページを書き上げてきた歴史的なグラウンドだ。
3月19日に柴崎はここで、スペインのサッカー界に初めてその名を残した。不利なスコアを覆すことはできなかったが、ファンは彼に向けて巨大な愛情を示し、日本人選手の披露するプレーに向けて早くも歓声を上げ始めていた。