苦悩した2年間。示し続けた絶対に諦めない姿勢
どんな時でも諦めない。小柄な身体にブレない強靭な精神と溢れる闘志を秘めたバーンズは、自ら志願してFC東京U-23の一員としてJ3の試合にも出場した。今年3月12日のJ3開幕戦、カターレ富山戦の後の言葉は今でも忘れられない。
「もし最終的にクラブからいらないと言われたら、新しいクラブを探すことも選択肢になる。だけど、契約がある限りは絶対に諦めないよ。それが僕の仕事だからね」
FC東京を去る日が近づき、バーンズは「本当のことを言えばもっと多くの試合でプレーしたかった」と素直な気持ちを口にした。それでも「自分のできることをやった結果だ。パフォーマンス自体には満足している」と、出場機会の少なさを決して他人の責任にはしない。最後まで真の紳士だった。
「川崎フロンターレやガンバ大阪、鹿島アントラーズ相手にゴールを決めた試合はよく覚えている。あと、デビュー戦は最高の思い出だね」
バーンズはFC東京の選手としてJ1のリーグ戦で3ゴールを記録したが、その時の対戦相手が鹿島、G大阪、そして川崎Fである。彼にとっての日本での2年間は、困難な時間でもあったが、同時にかけがえのない重要な時間でもあった。
オーストラリアからやってきたストライカーを語るにあたって、もう1人欠かすことのできない人物がいる。それは2016年から1年半にわたって、通訳としてバーンズを支え続けた伴和曉の存在だ。
そのことについて尋ねると、バーンズは言った。
「いま足もとに影が見えるかい? それがバンだ。どこを見てもバンがいる。僕の影なんだよ。ナイスガイで、チームのために、外国人選手のために本当によく働いている。お互いの未来に幸あることを願っている」
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