「自分を試す」ためだったJリーグ移籍
「悲しいけど、前に進む。これがフットボールであり、次のチャレンジを楽しみたい」
FC東京の選手として過ごせる時間が残り1日となったネイサン・バーンズは、誰よりも冷静に自分が置かれた現実を理解していた。2017年6月30日に迎える契約満了とともに退団が決まり、一旦無所属の身となる。
バーンズのFC東京加入が発表されたのは2015年7月8日のこと。オーストラリア・Aリーグの年間MVPという実績を引っ提げ、日本にやってきてからちょうど2年が経った。新天地にJリーグを選んだ理由は「アジアで最もレベルの高い日本に来たい」という単純明快なもの。
オーストラリア代表としてもアジアカップ優勝を果たした直後で、「自分の力を試したかった」と日本行きを選んだ理由を語った。しかし、バーンズを待ち受けていた現実は予想以上に厳しかった。
2015年のFC東京は過去最高に並ぶ年間4位という成績を残したが、シーズン途中の加入だったこともあってマッシモ・フィッカデンティ監督率いるチームの主力にはなりきれなかった。
城福浩監督が就任した2016年、序盤戦こそ出番に恵まれなかったものの、4月以降はコンスタントに出場機会を得られるようになった。だが、チームの成績不振にともなう監督交代で篠田善之監督が就任してからはベンチ入りもままならなくなってしまう。
そして迎えた2017年、バーンズはFC東京に残留して篠田監督の下で戦い続けることを選んだ。それでも指揮官の信頼はつかめず。結局今季のJ1リーグ戦の出場がないまま退団することとなった。
なぜ自分に与えられるチャンスがわずかだとわかっていながら、日本の他のクラブや中国、韓国からのオファーを蹴って残留したのか。バーンズは明かす。
「自分の力を必要としてくれたFC東京と2年契約を結んだ。どんなオファーが来たとしても、その契約が残っているのにチームを離れるわけにはいかない。信頼を裏切るわけにはいかない。自分にはまだここでやるべきことがある。そう思ってFC東京に残った」
たとえ厳しい立場でもクラブへの忠誠を貫き徹す。今季に懸ける彼なりの決意表明だったのかもしれない。FC東京でのJ1通算出場数は26試合だった。