綱引きの末に生まれたJ1参入プレーオフという形式
もっとも、J2勢としては、可能性が大きく開いたJ1への扉はそのままにしておきたい。ある意味で綱引きの末に生まれたJ1参入プレーオフだったと、Jリーグの黒田卓志フットボール本部長は振り返る。
「最終的には理事会が責任をもって決めてください、という声をクラブからいただきました。Jリーグおよび日本サッカー界の将来にとってどのような入れ替え方法がいいのか、という視点に立ちながら、ぶれることなく議論してきた結果として、今回の決定に至りました」
ただ、一連の議論においては、J1とJ2の間の昇降格決定方法だけが対象となったわけではない。最終的な決定に至ったわけではないと断りを入れたうえで、Jリーグの村井満チェアマンは「将来的なJリーグの基本構造における方向感を議論した」と、理事会後の記者会見で明言している。
「いまはJ3がある意味で、Jリーグのセーフティーネットという形になっています。J3から下への降格はないことを前提にして、14の地域クラブに3つのU‐23チームが参戦していますが、JFLへの降格がないJ3という位置づけをどこまで維持するかを、まずJ3を中心に議論しました。
このまま降格がないとすれば、東西分割を含めていくつかのブロックに区分けする考え方がある一方で、JFLという全国リーグからJリーグに参入した以上は、やはり全国リーグでありたいと。議論のなかで、たとえJFLへの降格があったとしても全国リーグで、という大枠でのコンセンサスを得ています」
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