J3を主戦場にしていた2016シーズンのジレンマ
ピッチで躍動する宇佐美の姿が眩しく映ったのか。当時は兵庫県の西宮SSで活躍していた堂安のもとには、中学校進学に際してガンバと名古屋グランパスのジュニアユースからオファーが届く。迷わず前者を選んだ堂安は2011シーズンから、ひそかに憧れていた宇佐美の直系の後輩となる。
宇佐美はこのシーズンから背番号を「33番」から「11番」へ変更。バイエルン・ミュンヘン、ホッフェンハイムへの期限付き移籍を終えて、ガンバに復帰した2013年6月からは一貫して「39番」を背負い続け、ガンバがJ1へ復帰した2014シーズンには国内三大タイトル独占の原動力になった。
迎えた2015シーズン。高校2年生にして「2種登録選手」としてトップチームに帯同した堂安は以来、いわゆる「飛び級」で昇格した昨シーズン、そして今シーズンと「38番」を背負い続けた。
おそらくは憧れの宇佐美のひとつ前にいたいという思いと、「38番」の一の位と十の位を足せば、宇佐美が一時期ガンバで背負い、常連となったハリルジャパンでは象徴と化しつつあった「11」になる、という思いも強く働いていたのだろう。
一方でジレンマも抱いていた。ルーキーイヤーだった2016シーズンは、J1でわずか3試合に出場しただけで、当然ながら無得点に終わった。このシーズンからガンバがU‐23チームを参戦させていたJ3を主戦場として、チームで最多、リーグでは7位タイとなる10ゴールをあげた。
そのなかには日本代表の守護神として一時代を築いたレジェンド、川口能活(SC相模原)の牙城を打ち破った、無回転の強烈なミドルシュートも含まれていた。それでも、まったく満足できなかったのか。堂安はこんな言葉を残したこともある。
「ホンマを言えばシーズンの最初から、J3を卒業したいという気持ちなんですけど……」