宇佐美の退団セレモニーからちょうど1年
歴史は繰り返される。2016年6月25日。場所も同じ市立吹田サッカースタジアムのピッチ。ブンデスリーガのアウグスブルクへ旅立つ退団セレモニーに臨んでいた宇佐美貴史の勇姿を、ルーキーだった堂安律はベンチで必死に脳裏へ焼きつけていた。
あれからちょうど1年。今度は自分が送り出される側となる。オランダ1部リーグの中堅、フローニンゲンへの期限付き移籍が決まってから初めて迎える川崎フロンターレとのJ1第16節は、同時に愛してやまないガンバ大阪における、現時点でのラストゲームとなった。
「先輩である宇佐美貴史という存在が、自分のなかで大きな憧れでありました。ちょうど1年前の吹田スタジアムで、僕もベンチから宇佐美君のセレモニーを見て、サポーターの反応、本当に愛されているんだなと思ったのをいまでも思い出します」
試合後に行われた退団セレモニー。前夜に自分一人で考えた別れの言葉のなかに、堂安はいまも憧憬の念を抱き、背中を追い続ける「宇佐美貴史」の名前をしっかりと入れた。実は1年前に、宇佐美とともに堂安もヨーロッパへ挑戦の地を求められる選択肢が与えられていた。
くしくも同じオランダの名門、PSVアイントホーヘンから届いた期限付き移籍のオファー。熟慮した末に堂安を思い留まらせたのは、宇佐美からもらった「ガンバに残ったほうがいい」という言葉だった。
強制的なものでも何でもない。それでも昨シーズンのファーストステージで出場試合がゼロに終わっていた堂安にとっては、まだガンバでは何ひとつ成し遂げていないぞ、という檄に聞こえたに違いない。
振り返ってみれば宇佐美も、19歳の夏にブンデスリーガの強豪にして名門、バイエルン・ミュンヘンへ期限付き移籍を果たしている。しかし、9日前に19歳になったばかりの堂安がここまで刻んできたキャリアは、宇佐美と大きく異なる点が2つある。
ひとつは宇佐美が移籍直前の2011年6月に、アルベルト・ザッケローニ元監督に率いられる日本代表に招集されていたことだ。出場機会こそ訪れなかったものの、ペルー、チェコ両代表と対戦したキリンカップ2011へ招集されていた期間は、宇佐美にとって貴重な時間となった。
もうひとつは、宇佐美が確固たる結果をすでに残していたことだ。高校3年生だった2010シーズンの段階で、ガンバの左サイドハーフもしくはツートップの一角に君臨。7ゴールをあげて、ガンバ史上では初めてとなるJリーグのベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞している。