「サポーターの方々からも『残ってください』と言われた」
栗原自身も、このオフにプレーする環境を変えることができた。契約更改で大幅なダウンを提示された元日本代表DFのもとには、アビスパ福岡から獲得のオファーが届いたとされる。
プレミアリーグのマンチェスター・シティを傘下に置き、マリノスの株式も取得しているシティ・フットボール・グループ(CFG)の意向があったと言われる、ドラスティックな世代交代も進められた。
クラブの象徴的な存在だったレジェンド、司令塔・中村俊輔がジュビロ磐田へ移籍。GK榎本哲也は浦和レッズ、DF小林祐三はサガン鳥栖、MF兵藤慎剛は北海道コンサドーレ札幌へ新天地を求めた。
苦楽をともにしてきた戦友たちがマリノスに別れを告げるなかで、栗原は残留を決めた。減俸を受け入れることも、イバラの道が続くことも覚悟のうえで、マリノスへの愛を優先させた。
「そりゃあお金はほしいけど。でも、いままでもそれなりの額をもらっていたし、勝負の世界である以上、結果を出さなければ(年俸を)落とされるのはわかっていたこと。なので、特に気にはしかなった。
自分のことを支えてくれる人たちが横浜には大勢いるし、他のチームへ移籍してプレーすることもひとつの手というか、サッカー人生のひとつだとは思っているけど」
横浜F・マリノスユースから昇格を果たしたのが2002シーズン。同時期に東京ヴェルディから移籍してきた中澤と並んで、在籍16年目はチームの最古参となる。
ただ、まだ横浜マリノスだった1996シーズンにジュニアユースへ加入している栗原は、トリコロールカラー以外のユニフォームを着る自分の姿が、どうしても想像できなかったのだろう。
「自分としては(マリノス)ひと筋でプレーしていくことが、一番大事かどうかは人が決めることとして、自分のなかではそういう気持ちがあったから残ったというのもある。サポーターの方々からも『残ってください』と言われたし、そういうのもありますよね」