明確で説得力に満ちた言葉。見つからない「ぶれ」
報道陣が投げかける質問に対し、シメオネは抜群の瞬発力でもって、明確かつ説得力に満ちた言葉を発していく。
テクニカルエリアで叫び続けたために声が枯れていることはあるが、言葉を詰まらせることもなく、投げかけられる質問に「決まっているだろう」と言わんばかりに即時に返答を口にする。そうして会見場からは、いくつもの名言が生まれていった。
「ハート、頭、足を日一日と動かし続けなければならない」
「言葉ではなく、何をしたかという事実こそが美しい」
「現実を理想と結び付けてはダメだ」
「決勝はプレーするのではなく勝つもの」
「フットボールでは才能よりハートの方が重要な場所を占める」
「目標を達成するためには、懸命に働き、走り抜かなくてはいけない」
「15本のシュートを打って無得点で終わるより、1本のシュートを決めて勝つ方がいい」
「パルティード・ア・パルティード(試合から試合へ、1試合ずつ)」
リーガ優勝シーズンに、記者から優勝の可能性について問われる度に口にした「パルティード・ア・パルティードで進まなければならない」であれば、全国高校サッカー選手権の選手宣誓でも引用されたという。
この時代、言葉は世界中のどこにでも瞬時に伝わっていくが、その発信源に立ち会っていると、それは何か不思議なことのようにも思えた。
彼の言葉は、距離も、国籍も、言語も、もしかしたらフットボールも壁になることなく、人の心に突き刺さっていく。彼曰く、「フットボールはフットボールだけにとどまらない。人生そのもの」なのだから。
今回、翻訳したシメオネの自著『信念 己に勝ち続けるという挑戦」の中で、彼はそうした発言が「自然発生的に生まれたもの」と述べる。しかし彼の発言は自分の軸、成功体験、そして言葉通り信念から発せられており、だからこそ強度と鋭さを併せ持つ。同書を訳しているときに感じていたのは、シメオネが会見で話す言葉を深化させた本ということだった。
『信念』に記されている言葉と会見の発言に、ぶれはない。なぜ目前の試合だけに集中しなくてはならないのか。なぜ現実と理想は切り離して考えるべきなのか。なぜ執拗にハート、気持ちの重要性を説くのか。訳しているときには、会見で発言したことに体験談を交えながら、より細かく、鮮明に説明されているような感覚があった。
『信念』の版権を獲得する際には、シメオネの妹であり彼の代理人を務めるナタリアと話し合いの場を持ったが、本の趣意を聞くと彼女はこう答えた。
「この本は、彼のすべてよ」
それは扱いが難しい返答だったけれど、この本は確かに、僕が見てきたシメオネそのままだと思う。その上、実際は孤独に浸るのが好きな人間であるなど、本当の自分すら打ち明けている。