29歳で迎えるロシアW杯へ。明確な青写真
アル・アインは2003シーズンのACLを制し、全北現代(韓国)に敗れたものの、昨シーズンも決勝戦に進出している。日本勢で勝ち残っている、浦和レッズもしくは川崎フロンターレと決勝で対戦することになれば否が応でも注目されるだろう。
そしてACLで2度目の優勝を果たせば、アジアサッカー連盟(AFC)代表としてFIFAクラブワールドカップ2017に出場できる。加えて、最新のAFCにおけるランキングで、アラビアン・ガルフ・リーグはトップに選出されている。
アジアでも屈指のレベルを誇るリーグでプレーし、心技体でさらなる成長を果たし、29歳で迎えるワールドカップ・ロシア大会の舞台に立つ。明確な青写真を描くことができたからこそ、今シーズンから新たに5年契約を結んだサンフレッチェから旅立つ決意を固めた。
開幕から苦戦を強いられてきたサンフレッチェは、いまもJ2降格圏の16位にあえいでいる。ここまで全14試合に先発してきた塩谷は、150万ドル(約1億6500万円)とされる違約金を置き土産にしながら、愛するサンフレッチェの浮上にエールを送っている。
「サンフレッチェ広島での5年間は僕の宝物であり、誇りであり、最高の思い出です。チームは今の状況から抜け出せると信じていますし、これから先、サンフレッチェ広島はもっともっと強くなるチームだと思っています」
2010年のワールドカップ南アフリカ大会を、プロになる夢すら描けなかった塩谷は「サポーターのような感覚で応援していた」と苦笑しながら振り返る。実はその直前に、母校・国士舘大学のコーチを務めていた元日本代表DFの柱谷氏に、センターバックとしての潜在能力を見込まれボランチから転向していた。
翌2011シーズンからホーリーホック監督に就任した柱谷氏に誘われ、現役時代は「闘将」と呼ばれた男の薫陶を受けながら幕を開けたサクセスストーリー。日本サッカー界にボランチという呼称を広めた森保監督のもとで飛躍を遂げた塩谷の挑戦は、日本人には馴染みの薄い中東の地で新たな章へと突入する。
(取材・文:藤江直人)
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