鳥栖残留を決めた理由。チームメイトたちへの感謝
ーー途中で韓国に帰ろうと思ったことはなかったですか?
韓国に帰ろうと思ったことはないですね。日本にいたら慣れたし、日本のサッカーの魅力もわかったし、環境も良かったので、韓国に帰ることは考えていませんでした。日本が好きになりました。でも、1年目は韓国に帰るどころではなく、ピッチ1周分も走れなかったので、本当にサッカーをやめないければいけないかなと思うくらいきつかったです。
ーーその時、同じ韓国人のユン・ジョンファン監督の存在は大きかったのではないでしょうか。
それは間違いないと思います。本当にいつもユンさんに感謝していますし、ユンさんがいなかったらJリーグであれほどプレーできなかったと思います。本当に感謝しています。
ーー初めてJリーグに行った時、まさか7年も同じクラブでプレーすることは考えられなかったのではないですか?
本当に想像できなかったですね。J1に昇格して1年か2年経ったころに一度だけ、他のチームでやりたい気持ちも正直ありました。7年間ずっとサガン鳥栖にいるとは思わなかったです。
ーーその時サガン鳥栖に残ろうと思った決め手はなんだったのでしょうか?
違うチームに行ったら(ポジションを獲得するため)一からチャレンジしなければいけない。もちろん僕の中では常にチャレンジしなければいけないという考えがあるんですけど、移籍しなくてもいろいろなチャンレジができるし、目標を作れると思いました。そしてサガン鳥栖が僕をリスペクトしてくれて、選手たちも尊重してくれたので、そういうところが一番大きかったかなと思います。
ーー7年間、サガン鳥栖で過ごした日々はミヌ選手にとって宝物ですね。
サガン鳥栖の選手たちはみんなやさしかったので、みんなに感謝しています。その中でも1年目や2年目は圭さん(池田圭)とナオさん(藤田直之)、2人に日本語を教えてもらったので、本当に感謝しています。僕は寮に住んでいたので、他の選手の部屋に本を持って行って日本語を教えてもらったりしていました。仲良くなるし、それしかなかったんです。圭さんは僕以外の外国人選手たちにも本当によくしてくれたので感謝しています。僕は圭さんみたいにできるかな…たぶんできないと思うので、本当に尊敬しています。