抱き続けているゼルビアへの感謝
シーズンの中盤からは当時のオズワルド・アルディレス監督の眼鏡にかない、レギュラーに抜擢される。アルゼンチンでサイドから転向したボランチではなく、手薄だった最終ラインで順応力の高さを発揮した。
しかしながら、チームは最下位でJFLへの降格が決まる。巻き返しを誓う2013シーズンへ。ゼルビアのフロントは必要不可欠な選手として、加藤に契約延長のオファーを申し出てきた。
ようやく自分の居場所ができた、という思いはあった。しかし、それ以上に高いカテゴリーで、もっといえば海外でプレーしたいと望むもう一人の自分がいた。年が明けても、加藤は悩み続けた。
「もともと海外志向が強かったんですけど、さすがにあのときはすごく迷いました。チームを落としたままで出て行っていいのかと。最終的には自分が海外に行って何かいい報告ができれば、それが町田のファンへの最高の恩返しになると思いました。返事が遅くなって、すごく迷惑をかけてしまったんですけど」
ゼルビアとしても、新体制を早く固めたかった。それでも加藤の思いを尊重して、年が明けても待ってくれた。最終的には退団を受け入れ、背中を押してもらった恩はいまも忘れていない。
だからこそ、その後もヨーロッパのシーズンがオフとなり、帰国するたびに唐井氏に連絡を入れた。今回は日本代表選出の報告も兼ねた連絡となった。ゼルビアの関係者全員が喜んでくれた。
「本当に胸が痛んだし、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。やっぱりゼルビアは僕にとって特別なクラブなので。プロとしてのキャリアをスタートさせてもらい、試合にも出させてもらったうえに、その後もずっと応援していただいた。本当にありがたい思いでいっぱいです」
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