アルゼンチンではビザが発給されず。練習生から町田入り
小学校を卒業した2002年3月に、和歌山県新宮市内の実家を自らの意思で離れた。母方の祖母が住む千葉県に移り、ジェフユナイテッド千葉のアカデミーに入団して将来のプロを夢見て心技体を磨いた。
ジェフのU‐18でプレーしていた2006年に、ジェフのチーム統括本部長に就任。いま現在はFC町田ゼルビアのゼネラルマネージャーを務める唐井直氏とは、いまも太い絆で結ばれている。
ジェフでトップチームに昇格できなかったが、進学した立命館大学で海外志向が膨らんできた。将来はスペインでのプレーを希望したうえで、まずは南米アルゼンチンへ夢を成就させるための第一歩を求めた。
「いきなりスペインへ行っても無理だと思ったので。調べたらアルゼンチンはスペイン語圏であり、当時はヨーロッパへ一番多く選手を輩出していたので」
3年生の夏に初めて渡ったが、けがで帰国を余儀なくされた。ならばと、体を完治させ、卒業に必要な単位をすべて取得したうえで、4年生になった2011年には腰をすえて現地で武者修行に励んだ。
それでもビザが発給されなかったことで、再度の帰国を選ばざるを得なかった。大学も卒業する加藤はプレーする場所を求めて、ゼルビアでゼネラルマネージャーを務めていた唐井氏に連絡を入れた。
ゼルビアに練習生として迎え入れられた。生計の足しにするために、練習後にはゼルビアのスクールコーチとして子どもたちを指導した。毎日のようにアパートと練習場、スクールを自転車で移動した。
風向きが変わったのは2012年の3月下旬。初めて昇格したJ2を戦っていたゼルビアはけが人が続出。加藤の入団が急きょ決まった。当時の公式リリースには、初々しいコメントが綴られている。
「この時期にチームに加えてもらえることができて、感謝の気持ちでいっぱいです。何不自由なくサッカーをできることの喜びを噛み締めながら、日々、努力していこうと思います」