復帰までの10ヶ月間で見えてきたもの
2度目となる過酷なリハビリと向き合う米本を常に励ましてくれた、父親の和幸さんが復活を見届けることなく他界する悲しみにも襲われた。ピッチに帰ってきた2012年3月17日の名古屋グランパス戦。サポーターに勝利を報告していた米本は、突然目頭を押さえはじめた。
「ピッチに出るとき、父のことを思い出していました。父がずっと僕のことを支えてくれた。できれば父が生きている時に復帰したかったけど……多分、上(天国)で見てくれていると思うので。もちろん、これが最後じゃない。もっと、もっと上から僕のことを見てほしい」
ボールへのアプローチの速さ、ボールを奪う力、そしてミドルレンジからの強烈なシュート。時間の経過とともに、サッカー界へ衝撃を与えたルーキーイヤーの2009シーズンに魅せた能力を、さらにスケールアップさせていった米本はヴァイッド・ハリルホジッチ監督の構想にも入った。
初陣だった2015年3月のチュニジア、ウズベキスタン両代表戦でバックアップメンバーに名前を連ね、同年5月に国内組だけを集めて開催された代表候補合宿にも招集された。
ようやく立てた、ワールドカップ・ロシア大会へのスタートライン。「代表を意識するとけがをしちゃうので」と努めて平静をよそおいながらも、米本は胸中に抱く日の丸への思いを静かに語ってくれた。
「運動量や中盤での守備が買われて代表候補に入ったと思うので、それに何かをプラスアルファしていかないと。攻守両面でチームに貢献することが求められるなかで、自分の課題は特に攻撃面でスイッチを入れる役目を果たせるかどうか。もっと上のレベルへいけるように、チームで頑張っていきたい」
だからこそ、3度目のけががどれだけのショックを与えたことか。右足に重症を負ってからトップチームでフル出場を果たすまでの約10ヶ月間を、米本は「長かったですね」と穏やかな笑顔とともに振り返る。
「いろいろと現実を考え始めたというか。夢ばっかりを追いかけていても、意味がないのかなと。いまサッカーができるというか、目の前のことを全力でやるということが見えた10ヶ月だったと思います」