FAカップはCLと同等の価値を持つべき
いや、違う。違うのだ。よ~くお考えいただきたい。チャンピオンズは“所詮は”参加資格を得られるプレミア上位常連のエリートクラブにしか縁がないものだろう。すなわち、イングランドに存在するプロ全92チームの、わずか6%かその辺り。全土にひしめくアマも含めたフットボールチームまで数えると、およそ夢物語の途方もない高嶺の花…。
しかし、FAカップなら少なくとも「必ず」参加できる。ということは、由緒正しき世界最古のフットボールイベントの「頂点」に立ち、歴史にその名を刻み込む夢も、決して夢に終わらない。当たり前のことを述べているようだが、その「夢」の持つオーラとエナジー、ひいてはその「夢」に近づいたときの喜びは、想像を絶して計り知れない。
ひいては、FAカップは数多の全フットボール人、フットボールファン、庶民のためのものだということだ。チャンピオンズが、フォーブズの長者番付に居並ぶごく少数のビリオネアたちや、世界経済を牛耳る一握りの多国籍大企業にも似て、どこかでこのスポーツの本質から逸れてしまいつつある印象を禁じ得ないことを思えば、なおさらである。
チャンピオンズの価値を軽んじるつもりは決してない。だが、FAカップのそれは別のアングルから見て、少なくとも「同等」であってしかるべきではなかろうか。
目前の2017年決勝では、マンチェスター・アリーナのテロ事件によってかつてなく警備強化されるはずのウェンブリーにて、チェルシーとアーセナルのロンドンオリジン同士が雌雄を決する。
あえて言うなら、勝敗そのものにさしたる違いはない。アーセナルが敗れたらヴェンゲルが辞める? 筆者は疑問だ。なにゆえ、ヴェンゲルが自らの去就問題をここまで引っ張ったのか。それは、この「至高のカップファイナル」への限りない敬意と、それを意気に感じるプレーヤーたちのハートを確かめたいがためではないか。
ならば是非とも、全世界のフットボールファンを固唾とため息の飲み込みっぱなしにさせてしまう「至高のイベント」を、栄えある両軍に演じ切ってほしいものである。
(文:東本貢司)
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