インターハイでは6試合1失点の堅守を構築
そして、市立船橋での最終学年を迎えると、2人はセンターバックコンビを結成する。インターハイでは6試合を1失点に抑える絶対的な堅守を築きあげ、チームを夏の日本一へと導いた。
直後に静岡県で開催された、SBSカップ国際ユースサッカーに臨んだU-19日本代表に、2人はそろって招集される。杉岡に原が追いついた形となるが、約2ヶ月後の10月には立場が逆転する。
U-20ワールドカップへの出場権がかかったAFC・U-19アジア選手権。中東バーレーンで開催された大一番に原が招集され、杉岡は涙を飲んだ。しかも原は試合を締めるクローザーとして重用され、U-19イエメン代表とのグループリーグ初戦ではダメ押しのゴールまで決めた。
日本は全6試合を無失点に抑えて、悲願でもあった初優勝を達成。5大会、実に10年ぶりにU-20ワールドカップへの扉を開けた。そして、U-19タジキスタン代表との準々決勝を除いて、5試合に出場を果たした原は内山篤監督の信頼を一気に勝ち取る。
11月下旬に行われた南米アルゼンチン遠征。15歳のFW久保建英(FC東京U-18)が初めて招集されたことで、注目を集めたメンバーのなかに原も名前を連ねた。再び選外となった杉岡は捲土重来の誓いを胸に秘めながら、チームメイトでもある原へのライバル心を鮮明にしている。
「原が選ばれたことによってより悔しさが増しましたし、その分だけ、僕は僕で頑張らなきゃいけないとあらためて思いました」
2人の卒業後の進路は、ともに9月1日にアルビレックスとベルマーレから発表されていた。もっとも6月にはオファーを受けたチームの練習に参加し、インターハイの開幕前には意中のクラブを決めていた。
原はアルビレックスと徳島ヴォルティスの二者択一から前者を選んだ。翻って杉岡のもとには、ベルマーレに加えて名古屋グランパス、ジェフユナイテッド千葉、そして3年前にU-18へ昇格する道を閉ざされたFC東京からもオファーが届いていた。