前人未到の道を行く18歳の決意、そして感謝
中学生時代はFC東京U-15深川に在籍し、3年次には10番を背負った。國學院久我山高では2年次に第94回全国高校サッカー選手権大会に出場し、トップ下でパスサッカーの中心としてチームをけん引してチームの準優勝に貢献。技術と判断力の高さ、ドリブル突破の鋭さで注目を集めた。
主将として臨んだ3年次は冬の選手権の舞台に立てなかったものの、常に視線は上を見ていた。目指していた高卒でプロになることを叶えた今、改めて決意を新たにしている。
「高校の時とは違って、プロなのでみんな生活もかかっている。Jリーグの厳しさとかは学生リーグと違うと思っています。その中で自分がこの歳から経験を積んで、J3で終わる気はないので、J2、J1、海外でも活躍できるようにステップアップしていければいいと思います」
Jリーグ25年の歴史の中で前例がない、プロ選手として戦いつつ東京と沖縄を行き来しながら大学を4年で卒業するには周囲のサポートも欠かせない。名倉自身、その重要性を十分に理解し、感謝を口にする。
「サッカーも勉強も両立できるのが國學院久我山だと思っていますが、それは1人ではできません。両親や友達といった支えてくれる人たちがいるからこそできることなので、感謝の気持ちを忘れずに結果で恩返ししていきたいと思います。今は自分にできること、目の前のことに集中して全力で頑張りたい。
これからどう、というよりは自分がチームのためにできることを最優先に考えて頑張っていきます。(東京と沖縄を行き来してほとんどチーム練習に参加できない)自分を試合に出してくれている琉球には感謝の気持ちしかないですし、結果で返したいという気持ちしかないです」
18歳にして誰も挑戦してこなかった道に足を踏み入れた名倉。大学生とプロ選手を両立し、最後までやり通せれば、日本サッカー界の将来のために非常に重要な道標となるに違いない。真の“文武両道”への挑戦は始まったばかりだ。
(取材・文:舩木渉)
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