浦和レッズ時代との違い。伝えなければならないもの
ピッチの上において変えた部分がスパイクならば、ピッチの外では考え方そのものを変えた。アカデミー出身の若手が多い、というチーム事情を理解したうえで、あえてレイソルを選んだ。前橋商業高校から2005シーズンに加入し、6年間プレーした浦和レッズ時代と同じではダメだと細貝は力を込める。
「あのころは若かったし、ヨーロッパに行きたいという気持ちもあったなかで、自分のことばかりを考えていたというか。どちらかと言うと、自分がレベルアップすることが、浦和の助けにもなると思ってプレーしていたんですよね。いまは年齢も重ねて、いろいろな経験もしてきたなかで、たとえばロッカールームでも自分が一番いい居心地で振る舞っていればいい、というわけにはいかないですよね」
細貝によれば、若い選手たちは「どうしても自分に気を使う」という。ザックジャパンでは常連だったこともあって、小学生時代に応援のために足を運んだ埼玉スタジアムで、細貝のプレーを目の当たりにしたという後輩たちが実は少なくない。
畏敬の念は、ときとして壁を築きかねない。だからこそ細貝は自らが率先するかたちで、積極的にコミュニケーションを取っている。シュトゥットガルトでも同じ役割を担っていたが、「やっぱり母国で日本語を使えますからね」と屈託なく笑う。
「僕に対して気を使うという部分を、少しずつ減らせていけたら。ピッチのなかだけでなく外でも伝えていかなければいけないものが、当然ですけどたくさんあると思うので。たとえばセレッソ戦も特に前半はかなり厳しい内容だったけど、悪くても白星に結びつける勝ち癖というものを、チームに引き寄せることができればと思って、毎日の練習から大勢の選手と話すようにしているところですけどね」