先を読み、周りも見えていた久保。本当の勝負はこれから
「ボールスピードもあったし、ワンタッチプレーっていうのが同じJリーグでも明らかにJ3に比べて多かった。J3の方が球際(のバトル)が多いけど、J1はそこをスルスルとかわしていく。なかなかボール取れなくて苦労したところがありました。まだ1試合なんで、自分に何ができたのかもあまり分からないし、今日はちょっと出し切れなかった」と久保本人は不完全燃焼感を口にする。
だが、視察に訪れた日本サッカー協会の西野朗技術委員長が「物怖じしないし、堂々としていた。相変わらずの久保がいたっていう印象」と語ったように、彼の冷静沈着さと老獪さはプロ経験豊富な選手にも負けていなかった。
例えば、FK奪取のシーンにしても、普通の若手ならボールを持って一目散にゴールに向かうことに目が行き、周りのことが見えなくなりがちだ。けれども、久保は「相手が来るのは見えていて、『あ、倒れるな』ってのは感じていた。『どうせ倒れるならシュート打っとこう』と思って打ったらファウルをもらえた」と先を読んでプレーしていた。それが直接FKにつながったのだ。
3日前のJ3・長野パルセイロ戦では左足への執拗なマークを避けるために、あえて右足でのシュートにトライしていたが、今回は「相手が疲れていてそこまでマークもしつこくなかったんで、左だけで行けちゃった感じ」と余裕すら漂わせていたほど。
今回の札幌が若手中心で、森重真人や高萩といった日本代表クラスを並べたFC東京とは実力差があったとはいえ、15歳の新人がそこまで的確な状況判断をしながらプレーしたのは特筆に値する。久保自身にとっても、FC東京にとっても、日本サッカー界にとっても、非常に大きな一歩だったのは間違いない。
ただ、本当の勝負はここから先。久保の前のJ最年少出場記録保持者である森本は10代でイタリア・カターニャへ移籍し、22歳で2010年南アフリカW杯メンバーにも選ばれたが、10~20代にかけての成長曲線は想定より停滞した感が強い。
16歳でデビューした阿部勇樹(浦和)は成功例と言えるが、17歳でデビューした小松原学(ブランデュー弘前)、飯尾一慶(沖縄SV)にしてもA代表に上り詰めることができなかった。彼らを筆頭に15歳の段階でその世代のトップを走っていた選手が日本のエース級になった例は皆無に近いだけに、久保も輝かしい未来が保証されたわけではない。