事務所の後片付けで切り刻まれたマスコット
新横浜にあった、全日空スポーツの事務所の後片付けも、僕らスタッフの仕事でしたね。とび丸(フリューゲルスのマスコット)の着ぐるみを見つけた業者の人が「これ、どうします?」と聞いてきて、上の人が「もういらないです」って言ったものだから、ガーってカッターで切り刻んだんですよ。
あれは失敗でしたね。無理してでも、僕がもらっておけばよかった。近所でイベントがあった時に、僕が着ぐるみに入って子供たちを喜ばせることもできたわけだし(笑)。
幸い、とび丸の着ぐるみは3体あって、残りの2体は日本サッカーミュージアムと、フリューゲルスの企画運営をしていたファーストという会社が今でも保管しています。それ以外にもいろんなお宝グッズが出てきたので、僕が回収できたものは今も大切に倉庫で保管しています。
フリューゲルスが吸収合併されてからは、F・マリノスのジュニアユースの指導者として、僕を含めて6人がスライドすることになりました。もともとマリノスは、新子安と追浜にジュニアユースがあって、僕がフリューゲルス時代に教えていた菅田は「横浜F・マリノスジュニアユース菅田」となりました。
契約は2年間。ただし、合併した年に菅田だけセレクションがなかったんですね。2年経てば、子供たちは全員卒業していきます。そうなると菅田は自然消滅だし、僕らもクビになるわけですよ。
僕の場合、それでも他のJクラブからコーチのオファーは来ていたんですよ。そしたらF・マリノスのほうから「前田くんはフリューゲルス時代から地元に人脈を築いてきたから、指導者ではなく地域密着のためのポストに就いてくれないか」と言われたんです。
そういう道もありかなと思ったんですが、なかなか向こうから条件が出てこない。焦って上の人に確認したら「そんな話は聞いていない」ですよ。冗談じゃない。こっちは他からのオファーも断っているし、家族だっているんだ。横浜地方裁判所に訴状を提出しましたよ。こちらはちゃんとした証拠を残していたので、最終的には和解になりましたけど。