順風満帆ではなかったプロキャリア。日本で幸せを掴む
1986年4月22日にスペインのアルバセテで生まれたシシーニョは、3歳の頃に父親と一緒にボールを蹴り始めた。これが彼のサッカーのルーツだという。15歳で名門バレンシアの下部組織に入団し、同期のダビド・シルバらとともに活躍。U-17スペイン代表での世界選手権準優勝など世代別代表で豊富な実績を持つ。
U-21スペイン代表時代のチームメイトには、ジェラール・ピケ(現バルセロナ)やファン・マタ(現マンチェスター・ユナイテッド)、ハビ・マルティネス(現バイエルン・ミュンヘン)、ナチョ・モンレアル(現アーセナル)ら錚々たる面々が名を連ねていた。シシーニョはその中で背番号7を与えられた不動のレギュラーだった。
一方でプロ選手としてのキャリアは苦難の連続だった。バレンシアを退団してレクレアティーボに新天地を求めた最初の年、2008年にはA型肝炎を発症。2ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。
さらに翌2009年、2部へ降格したレクレアティーボを退団してバジャドリーへ移籍したものの、10月に腓骨の亀裂骨折で8ヶ月ほどの長期離脱を経験。2012年には右ひざの内側側副じん帯を痛めて手術を受けた。2013年6月に復帰したものの、同10月に今度は左ひざの前十字じん帯断裂を負って8ヶ月間ピッチを離れた。
病気や負傷による離脱は合計600日を超える。ユース時代の輝きぶりを考えれば、決して順風満帆とは言えないキャリアを歩んできた。そんな折、シシーニョを魅了したのが福岡のある1人の選手だった。
「3年前から日本のサッカーを見始めたけど、城後寿がJリーグ最高の選手だと思った。(昨年9月に)チームに対してツイートした後、城後のユニフォームを買って、家に送ってもらった。本当に嬉しかったよ」
そして今、シシーニョは城後が所属する福岡と同じリーグ、J2に降り立った。3年前から願い続けた日本で喜びを感じながらプレーしている。
「日本の選手は優れたテクニックを持っているし、頭がよくて、ハードワークできる。一緒にやっているとゴールを決められる気がするんだ。今はすべてがうまくいっている。全員が勝利を欲しているし、僕自身も日本でとても幸せな気分でプレーできているよ」