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Jリーグ 8年前

横浜F一筋の男に突き付けられたクラブ消滅。元代表・前田治が報道前夜に受けた電話【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images

吸収合併報道前夜にテレビプロデューサーからの電話が

現役時代の前田治氏。日本代表でも14試合に出場している
現役時代の前田治氏。日本代表でも14試合に出場している【写真:Getty Images】

 お世話になっている地元の後援会の人たちにも相談しました。そしたら皆さん「いい話じゃないか」っておっしゃるんですね。「フリューゲルスの監督になれるかどうかわからないけれど、他のチームに移ってクビになったら、ここに戻って来られる保証がない」というのが理由でした。

 あまりにも悩みすぎて、いっそサッカーの世界から足を洗ってプロゴルファーを目指すことも考えました(笑)。でも、ここに居続けていれば、そのうちいい流れが来るのかなと思って。それで引退を受け入れることにしました。

 引退後の仕事は、ジュニアユースのコーチでした。「え、トップチームじゃないの?」って思いましたよ(苦笑)。指導を始めたときは「こんなこともできないのか」とがっかりすることの連続でした。

 僕が実演してみせると、みんなが「すげーっ!」って驚くわけです。そりゃそうですよ、ついこの間までプロだったんですから。最初に僕が指導していたのが、今は(横浜)F・マリノスで育成をやっている小原章吾やアビスパ(福岡)で頑張っている坂田大輔でしたね。

 2年目(98年)の時、「松本ヴェガっていう長野のチームにいい選手がいる」と聞いて、そこで見つけたのが田中隼磨(現松本山雅)ですよ。当時はサイドバックではなく、中盤をひとりで仕切っていましたね。

 そんな感じで、ジュニアユースの指導も軌道に乗ってきた時でしたね、フリューゲルスの合併のことを知ったのは。教えてくれたのは、仲の良かったテレビ神奈川の方でした。

 もう亡くなられましたが、『横浜ASフリューゲルスアワー』という情報番組のプロデューサーで、公私共に良くしていただいていたんですよ。電話があったのは、発表の前夜(10月28日)でした。

「オサム、大変だ。フリューゲルスとマリノスが合併するぞ」って。おそらく生え抜きの僕には、伝えておきたかったんでしょうね。急いでアツ(三浦淳宏)に電話しました。アツは当時、僕の弟分みたいな感じでしたから。そこからさらに、他の選手にも話が回っていったようです。

後編につづく。文中敬称略>

(取材・文:宇都宮徹壱)

【了】

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