プロの厳しさを味わった若手時代。ユースから昇格後3年間出場なし
――2015年、29歳で日本代表に初招集され、8月の東アジアカップ・中国戦で国際Aマッチデビュー。G大阪ではセンターバックとして守備の中軸を担う。近年、いい風が吹いていますね。
「まだまだ。もっと吹かさなければいけないと思ってますね」
――物足りない?
「全然物足りないです」
――足跡を振り返らせてください。ガンバ大阪のアカデミーで育ち、2004年にトップ昇格。ところが、以降3年間、まったく試合に出られなかった。当時の監督は、西野朗さんです。
「トップに上がった次のシーズン、ガンバはJ1初優勝。チームが結果を出していましたし、メンバーのレベルも高かった。ディフェンスは、ツネさん(宮本恒靖)がいて、山口智さんに、シジクレイ、ノリさん(實好礼忠)、入江徹さんなど、中堅からベテランの選手で固められていました。ベンチに入るのに必死でしたね」
――プロの世界の厳しさを味わった。
「ただ、まったく腐ることはなかったです。試合出られなくてもこの人たちと一緒に練習できるのは価値があり、盗んで自分のものにしてやろうとしていました。すばらしいプレーヤーだと敬意を持ちつつ、この人たちを超えないと試合に出られないという覚悟。両方の気持ちを持ってやってたかな。
すごいと仰ぎ見てしまうと、その時点でメンタルやプレーに影響が出るので、そこは意識的にコントロールしていました。いま思えば、あのときやっておいてよかったなと。試合に出ていなかったので疲れることもなく、誰よりも居残り練習をやった。コーチに付き合ってもらって、何が足りないのか相談し、自分でも考えながら日々のトレーニングに打ち込みました」
――根気強く指導してくれたコーチは?
「松山吉之さんと和田治雄さんです。とてもお世話になりました」