下部組織から一貫したコンセプト。他クラブ移籍後にも才能が開花
1980年代後半から欧州を席巻したサッカーのコンセプトを、下部組織にも浸透させて育成が行われた。最後尾に一人余らせるような5バック的な戦術は絶対に使わず、若いうちから4バックでラインを上げ、攻撃的に戦うサッカーをさせる。そこからトップチームに貢献する人材も出てきた。デメトリオ・アルベルティーニはその筆頭だし、ミランにとって近年最後のスクデットとなった2010/11シーズンでも、生え抜きのイニャツィオ・アバーテやルカ・アントニーニが少なからず貢献を果たしていた。
他クラブで開花した選手にも、ミランの下部組織出身者は多い。のちに代表クラスになるマッシモ・オッドやクリスティアン・ブロッキもミランの下部組織出身。現在カリアリで活躍するマルコ・ボリエッロやサッスオーロのアレッサンドロ・マトリといったベテランFWもミラン出身だ。今シーズンで旋風を巻き起こしているアタランタにも、アンドレア・ペターニャが主力として定着している。何よりマンチェスター・ユナイテッドには、マッテオ・ダルミアンがいる。
プリマベーラとして獲得したタイトルは、ユベントスや近年のローマ、インテルなどに比べるとそれほど多くはない。ただそれはクラブがあくまで育成を主眼と置いていたからであり、人材が枯渇していたわけではないことは輩出した選手の数が物語っている。
ただ、生え抜きの選手たちがトップに多く定着することは、近年には確かになかったことだ。それはなぜか。「身も蓋もない言い方になるが、やはりベルルスコーニに資金がなくなったからだ。“ミランは若く、イタリア人中心で行きたい”とベルルスコーニが2014年に発言して以降、彼らははっきり方針を変えた」。ベルルスコーニ時代のミランを見続けてきた『コリエレ・デッロ・スポルト』のベテラン、フリオ・フェデーレ記者はそう語る。
ズラタン・イブラヒモビッチを擁してスクデットを獲得した2010/11シーズンくらいまでは、彼らはまだ大型補強に頼っていた。ところが主力が軒並み高齢化し、何よりクラブも親会社のフィニンベスト社も経営危機に陥ると、それも難しくなってくる。結局彼らはトップチームの人材輩出の術を自らの下部組織に求めざるを得なくなり、補強の外国人選手も金のかからない若手(それもレンタル)という手段に頼るようになった。