急きょ巡ってきたデビューのチャンス。一気に駆け上がったスターダム
1995年11月。ミラン戦の数日前、第1GKのルカ・ブッチが故障した。このためブッフォンはプリマベーラから一時的に引き上げられ、トップチームで練習をすることになる。ところがその時のパフォーマンスがあまりにも良く、ネヴィオ・スカラ監督は第2GKのアレッサンドロ・ニスタではなくブッフォンを起用することに決めた。
そして19日、ブッフォンは大ブレイクを果たした。ジョージ・ウエアのパスに反応して裏へ出たステファノ・エラーニオから1対1でボールを掻き出し、体のバネを効かせてロベルト・バッジョのヘディングシュートを弾き、さらにはマルコ・シモーネの決定的なシュートも鋭い反応で防いだ。
「試合前はメンバー表を見て『おい見ろよ、あいつらプリマベーラのGKを使ってくるぞ』なんて言っていたんだが、その理由を思い知らされることになったよ」。当時ミランの監督だったファビオ・カペッロは、のちに『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューでそう述懐していた。
そこからブッフォンは、一気にスターダムを駆け上がった。ゴールラインに張り付くことを良しとせず、果敢に前に飛び出してボールを掴みに行くプレースタイルは、当時は革新的とさえ評価されていた。ブッチの復帰に伴い再びプリマベーラへ戻るが、U-21代表に飛び級選出され1996年のU-21欧州選手権で優勝。翌シーズンにはカルロ・アンチェロッティ監督により、途中から第1GKとして完全に定着する。1998/99シーズンには、UEFAカップ(UEFAヨーロッパリーグの前身)で優勝を果たした。
2001年にはリリアン・テュラムとのペアでユベントスに移籍。GKとしては破格の5288万ユーロの移籍金が支払われた(実質額。実際は金銭3800万ユーロにジョナタン・バキーニとのトレード込み)。そこからは、2006年までにピッチ上ではスクデット4度。イタリア代表では正GKとして、2006年のドイツW杯優勝に貢献した。
同年にはカルチョポリの発覚によりユーベはセリエBへ降格させられるが、ブッフォンはアレッサンドロ・デル・ピエーロらと共にチームへ残留する。そして1年でセリエAへの再昇格へと導いた。そこからクラブレベルでのタイトルには見放されるが、苦労が実って2011/12シーズンからは5連覇を達成し、現在に至る。その間代表でも正GKの座を守り続け、EURO2012では準優勝に貢献した。