アマチュアのカップ戦で162チームの頂点に。セリエBクラブへと飛躍
セリエDはアマチュアの最高カテゴリーであり、ブロック別だが全国選手権扱いとなる。そうなると、さすがに本業と兼ね合いは難しくなる。サッリは最初の1年間こそ銀行員を続けながらクラブをグループFの6位に導くが、そこから銀行を辞して監督業に専念する決断を下した。
そして就任3年目の2002/03シーズンにはプレーオフに進出、クラブ史上初のセリエC2(当時の4部)昇格をもたらし、さらにはアマチュア最高峰のカップ戦であるコッパ・イタリア・セリエDで優勝。参加162チームの頂点に立った。
当然このころには、サンソビーニのサッカーは関係者の間ですっかり評判となっていた。セリエDに参加する全162チームのうち、5番目に平均年齢の若いチームを編成して昇格に成功したことも注目され、セリエAクラブの下部組織などの視察の対象となった。
そんな中で、スカウトマンたちに「一番の発見は監督だった」と報告したのがサッリだったという。戦術は緻密で、33のセットプレーを駆使する男として全国紙にも紹介された。緻密に対戦相手を研究した上で、非常に高い位置からボールを奪って速攻を展開する機能性も評価されたし、選手のフィジカルコンディションを高次元に整えるトレーニング法も評価が高かった。
コッパ・イタリア・セリエDの優勝で、プロクラブの特別指導許可も貰えたサッリは、2003年からついにプロへ挑戦。2年後にはペスカーラでセリエBに初挑戦し、3戦を残して堂々とチームを残留に導いた。その後複数のクラブを渡り歩くが、途中解任も少なからず経験した。
内容をさておいても結果が求められるような上部カテゴリーにおいて、継続的なトレーニングを通して結果を出すタイプの彼は苦労したのだ。それでも評価は落ちず、2010年にはサンソビーノ時代に強化部門を担当していたナリオ・カルディーニSDに請われて3部のアレッサンドリアを指揮し、経営譲渡で揺れ動くクラブを年間3位でフィニッシュさせた。