「負けたら解散」という状況で挑んだ天皇杯
もちろん実力的なことを言ったら、負けてもおかしくなかったって今なら思います。それでも、不可能はないって当時は思っていました。選手たちの戦う姿を見ていると、本当に覚悟を決めて戦っているのが伝わってきましたし、「負けたら解散」という緊張感もありましたからね。
とにかく、ものすごい一体感がありました。あの年の戦力って、そんなに充実していたわけではなかった。それでも、ああいう切羽詰まった状況だったから勝ち上がれたというのは、きっとあったと思うんですよ。
だからこそ、サポーターは最後まで信じて応援するしかない。「決勝のチケット、買うべきかなあ」とか言っているやつには「バカ、買っとけ! 今すぐ買え!」って言いましたね。私たちが信じなくて、誰が信じてやるんだって話ですよ。
(準決勝で鹿島に勝って)決勝進出が決まったときですか? とにかく一世一代の晴れ舞台にしてやりたい。それしか頭になかったです。初めてのコレオの準備をしたり、鹿児島JETS(JETSの鹿児島支部)が作成したビッグフラッグを国立に持ってきてもらったり。それとは別に、試合が終わったら選手たちにメッセージを贈りたいって思ったんです。で、こんなメッセージを考えたんですよ。
「この想いは決して終わりじゃない。なぜなら終わらせないと僕らが決めたから。いろんなところへ行っていろんな夢を見ておいで。そして最後に……。君のそばで会おう」
実はこれ、当時大好きだった銀色夏生さんという作詞家の『君のそばで会おう』という詩集からのパクリなんですけど。決勝が終わったら、勝っても負けてもフリューゲルスはなくなって、みんな散り散りになってしまう。
それでも、またどこかで一緒にやりたいねっていう想いを文章にしたくて。そしたら「こんなの文字が多すぎて読めないよ」って言う人がいたんですね。「じゃあ、大きく書けばいいじゃん!」と思って。