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Jリーグ 8年前

横浜Fは「舐められていた」。だから消滅した。サポーターグループのリーダーが知る真相【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images

1998年10月29日、早朝に電話が鳴って…

 女性がリーダーをやることについてですか? うーん、コールリーダーは男のほうがいいと思うし、実際にそうしていたんですけど、あの時は他に仕切れる人がいなかったというのが実際のところでしたね。

 むしろ自分が5人欲しかった。それくらいグループをまとめるのが大変だったんですよ。自分より年上の人たちとか、高校生くらいのやんちゃな男の子たちとかもいましたから。くだらないことでケンカしたり、恋愛沙汰の末にフラレて応援に来なくなったり(笑)。

 何か問題があるたびに「姐さん、大変です!」ってなるわけですよ。当時は私、年上の人からも「姐さん」って呼ばれていました(笑)。私の家族は妹がひとりいるだけですけど、何だか弟や妹がいっぱいいるみたいな、ある種の疑似家族みたいな感じになっていましたね。

 サンバ隊の演奏がサマになってきたのも、ASA AZULになってからですね。当時、サンバの応援をしていたのは、ヴェルディとエスパルスとフリューゲルスだったんですけど、ウチは立ち遅れていたんですよ。今から考えると自己流だったし、楽器もアフリカの打楽器みたいなのを使っていたし(笑)。

 それがこの頃から、ブラジル人の演奏家のレッスンに通うようになったんです。私自身、ブラジルの音楽を良く聴くようになって、すっかりハマりましたね。タイコの出だしも「今日はセルメン(セルジオ・メンデス)からいこうか」みたいな感じで。

「あの日」のことはよく覚えていますよ。朝の4時くらいに自宅の電話がかかってきたんです。当然、留守電ですよ。そしたら「姐さん、フリューゲルスが大変だ! すぐにTV点けて!」って声が聞こえてきて。

 電話してきたのが、コンビニでバイトしている子だったんですけど、早朝に届いた新聞の見出しを見て、慌てて電話してきたんですね。それで急いでTVを点けたら、早朝の情報番組が早刷りのスポーツ紙を紹介していたんですけど、「フリューゲルス消滅」とか書いてあって。どういうことか、まったく理解できなかったですね。

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