横浜F、サポーターズグループの女性リーダー
インタビューの場所に指定されたのは、欧州各国の大使館があることで有名な、セレブ感が漂う都内のスポットだった。「このあと娘の保育園のお迎えがあるんです」と語るのは、私と同世代の伝説的な女性サポーター。一瞬、母親らしい笑顔を見せる。
横浜フリューゲルスのサポーターズクラブ『ASA AZUL』の元リーダー、川村環。当時も今も珍しい女性リーダーだった彼女は、グループ内では「姐さん」と呼ばれ、類まれなリーダーシップと人望によって慕われる、ゴール裏界隈ではかなりの有名人であった。そして何より彼女には、誰よりもフリューゲルスを愛しているという強烈な自負があった、
1999年元日の天皇杯決勝での優勝を最後に、「横浜マリノスとの合併」という形で消滅してしまった横浜フリューゲルス。「最近はアラサーの世代でも、フリューゲルスのことを知らない人が増えていることに危機感を覚えますね」と語る彼女は、われわれの取材のオファーに快く応じてくれた。
なお、今回のインタビューでは「球団」という言葉がたびたび出てくる。もちろん「クラブ」という意味であり、こうした野球用語がそぐわないことは重々承知している。
とはいえ90年代のJリーグでは、まだまだ「クラブ」という概念が定着しておらず、「球団」という野球用語が幅を利かせていたのも事実。よって、そのまま活かすことにしたことをお断りしておく。
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