優雅で甘美なプレーと結び付けられた近年の成功
FCバルセロナのDNAは移り気なものだ。スポーツ面に関して、特にヨハン・クライフの監督就任以降には顕著だが、チームが最高の状態にある時にこそ勝てることに慣れていた。近年の成功は常に優雅で甘美なプレーや完璧性や覇権と結び付けられるものだった。
欧州制覇を果たした時、それが単発の事象として解釈されることは決してなかった。データもそのことを物語っている。バルサが誇る5度の欧州制覇のうち、3回はリーガとの2冠、残りの2回はリーガおよびコパとの3冠として達成されたものだ。
典型的なクレ(バルセロナサポーター)が自然に見せるブルジョワ感もそこから生まれたものかもしれない。彼らは歴史的に、叫びを上げる革命家であるよりもオペラの観劇客であるとみなされてきた。
敗者であったバルサの遺産も存在し、他の多くの世代に直接的影響をもたらしている。ベルンでエウゼビオ擁するベンフィカに敗れた61年のチャンピオンズカップ決勝や、ステアウア・ブカレストのGKヘルムート・ドゥカダムにPK戦のシュートがすべてセーブされた1986年のセビージャでの悲劇…。86年の試合後には、ベトナム戦争からの帰還兵のように、多くのソシオたちが何も信じられないような虚ろな目をして帰途に就いたと言われている。
世界のサッカーから参照される存在になり得た時こそ、バルサはその頂点に達する。我々はそう言っていたが、メッシの時代であったこの10年間にも、過去の癖が時折顔を出し続けていた。ピケの弁舌や、勝利への貪欲さを失わない選手たちの競争心によって幸いにも残りカスくらいのものになっているが。
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