取り残されようとしている悲観主義者たち
「僕らが今までやってのけた中で一番大きなことだ」
欧州サッカー史上最大の偉業を成し遂げたあと、ジェラール・ピケはカンプ・ノウのピッチ上で仲間たちと抱き合いながら口にしていた。パリ・サンジェルマン(PSG)との2ndレグの数日前、バルサのCBはソシオに向けて「スタジアムに来た方がいい。逆転を見逃せばきっと家で悔しがることになる」と呼びかけていた。予言を実現させて満足げなピケは、ミックスゾーンでも次のように語った。
「今までなら、3-1になったところで観客は去っていたはずだ。だが今日は最後まで残って助けてくれた。新しいサポーターたちの方がチームのことを信じていて、あまり信じていなかった者たちも団結させることができたようだ」
ピケの(いつも通り)興味深い発言は、明らかになりつつあった兆候をさらに深く印象づけている。バルサは変わりつつあるということだ。というより、バルサのファンが変わりつつある。
進化の過程における自然選択と淘汰の合間で、バルサを取り巻く社会集団の中のある一団は取り残されようしている。それが何者かといえば、悲観主義者たちだ。
歴史的に、疑念と不信の空気を纏ってカンプ・ノウの観客席に居着いていた彼らは、美しいプレーにその満腹感を満たされながらも、ボールがワンタッチで回らなかったり空中を行き交う時間が長かったりすると辛辣になりがちであった。大量点を奪えばすぐにウェーブを起こすが、不利なスコアに立ち向かう状況になると反応が鈍るサポーターたちだ。