所属元の実質的な廃部で受けたショック
それぞれの道を振り返れば、槙野は翌2006シーズンにサンフレッチェのトップチームに昇格し、ブンデスリーガのケルンを経て、2012シーズンからレッズでプレー。その間に日本代表として国際Aマッチ24試合に出場している。
一方の清原は札幌大学からJFLのSAGAWA SHIGA FCへ加入。プロではなく社員選手として、自らの可能性を追い求めてボールを追った。もっとも、立場的にはアマチュアだったとはいえ、JFLの強豪でもあったSAGAWA SHIGA FCはサッカーに専念できる環境が整えられていた。
「仕事といっても、年末の忙しい時期に商業施設へ行って、佐川急便のトラックの到着を待って、積まれていた荷物を配る内容だったので。あとはある程度免除されていたというか、基本的にはかなり優遇されていたと思います。サッカーにほぼ集中できていたので」
2年目となった2011シーズンの中盤からレギュラーに定着。トップ下を主戦場としてチームトップの12ゴールをマークして優勝に貢献し、翌2012シーズンには17ゴールで再びチーム得点王になり、リーグのベストイレブンにも選出された。
順風満帆な軌跡を刻んでいたからこそ、2012シーズン年限りでSAGAWA SHIGA FCが活動を休止、実質的な廃部となったことはショックだった。シーズン終盤に古傷でもある右足小指のつけ根を疲労骨折していたことも、胸中に募る不安に拍車をかけた。
「いままでのサッカーに関係することでは、自分のなかでは(SAGAWA SHIGA FCの活動休止は)一番衝撃的でした。ちょうどけがをしていたこともあって、サッカーを続けるかどうか、というか次の道へ進むに当たって本当に心細いところがあったので」
いくつか届いたオファーのなかから、唯一、プロ契約を提示してきたのが当時JFLのツエーゲン金沢だった。SAGAWA SHIGA FCは優勝しても上のカテゴリーは目指さない方針だったが、ツエーゲンは違った。後のないプロという環境に身を置き、ともに上へと歩んでいく。決意はすぐに固まった。