合併を知らされたとき、最も冷静だったサンパイオ
合併のニュースを知った時ですか? 新聞報道は10月29日でしたが、前の夜にアツさんから電話で呼び出されたんです。「おい、フリューゲルスがなくなるみたいだぞ」って。
当時、家が近所だったので、何人か集まりましたね。薩川(了洋)さん、あとナラ(楢崎正剛)さんもいたかな。当時はネットとかなかったんで、たぶんアツさんは新聞記者の人から情報を掴んでいたんだと思います。
それで次の日、東戸塚の練習場に行ったら、いつもは2~3人くらいしか記者がいないのに、その日はたくさん人がいて、TVまで来ているんですよ。クラブハウスに届いていた新聞には「フリューゲルス消滅」みたいな記事が一面に出ていて、それでアツさんが言っていたことが本当だったことを知りました。
とはいえ練習があるんで、トレーニングウェアに着替えていたら、チームマネージャーから「社長(山田恒彦)から話があるので、みんな会議室に集まってくれ」と言われて。で、社長からは「今季限りで横浜フリューゲルスはなくなります」──以上って感じでしたね。
もちろん、選手は納得できませんでしたよ。「ちゃんと説明しろよ!」って、熱くなっている選手もいました。あの時、冷静に話し合いをしようとしたのは、サンパイオでしたね。もちろん通訳を挟んでですけど、その場を落ち着かせてから、冷静に話し合う空気を作ってくれました。
ただ、本当に現場サイドは誰もこの話を知らなくて、(レシャックから監督を引き継いだ)ゲルト(・エンゲルス)もそうでした。結局、選手会長だった(前田)浩二さんがクラブとの窓口になってくれましたけど、その日は練習にはならなかったですよ。みんな、心ここにあらずという感じで。無理もないですよ。クラブが今後どうなるのか。来季の移籍先は確保できるのか。何もわからない状態でしたから。
とりあえず、次のリーグ前は2日後に迫っていました。「試合をボイコットしよう」という意見もありましたが、監督のゲルトは「今はとりあえず、サッカーをやることを考えよう」と言いました。
サンパイオも「俺たちはサッカー選手なんだから、まずは試合をやるべきだ」と力説していたのはよく覚えています。今にして思うと、サンパイオの存在感はデカかったですね。選手としても、もちろんすごかったけれど、それ以上にプロとして、人間として素晴らしかったと思います。
<後編につづく。文中敬称略>
(取材・文:宇都宮徹壱)