立場によって変わるボスマン判決の捉え方
ボスマン判決は振り子の作用を持ち、スペイン人たちを国外へと移住させた。それは一つの事実であり、祖国喪失であり、感情の発露を促すものだった。以上のことを肉付けるのは、元スペイン代表のホセ・アントニオ・マルティン、通称ぺトン。
現在、代理人・エージェント業を営むバイーア・インテルナシオナルのゼネラルディレクターを務める彼は、「あれから市場は開かれたものとなり、スペインに居場所がなくなった選手たちを国外に出すことが許された。選手たちは国を出なければならず、しかしそのキャリアは好条件の契約で埋め合わせられた」と語り、その一つの事例として「スコットランドのエアドリーをスペイン人で一杯にした」ことを挙げた。
ペトンが話した内容を糸口として、ヘスス・ガルシア・サンフアンにも耳を傾けてみよう。そのスコットランドのチームに組み込まれた一人であった彼は、「私は昔も今も、完全なるアンチ・ボスマンだ」と言い切る。
「私がスペインを出たのは、国外から選手たちが押し寄せてきて居場所がなくなってしまったからだ。しかし自分から望んだことじゃない。当時の私は29歳で、何よりも出場機会が必要だった。キャリアの転機を迎え、なおかつ国外に適応できたのは幸運とも言えるだろう。しかしあの変化の結果は、概して言えば悲しむべきものにほかならなかった。フットボールにとって、何より一クラブの下部組織で育まれてきた選手にとってね」
またデポルティボとは反対に、スペイン人主体で成功を掴んだバレンシアに在籍していたサンティアゴ・カニサレスも、ガルシア・サンフアンの意見に同調。ボスマン判決から10年が経過した頃、カニサレスは『エル・パイス』とのインタビューで次のような言葉を口にしていた。
「フットボールで起こった最も重要な変化だね。だが、スペイン人にとっては侮辱的なことだった。成果を挙げるかどうかにかかわらず国外から選手たちがやって来て、仕事を奪われたのだから」
カニサレスが言及した外国人選手、それも成果を挙げていた方で真っ先に名が挙がるのは、元デポルティボのドナトだろう。スペイン国籍も取得したブラジル出身者は、リーガ・エスパニョーラで最も多くの試合に出場した外国人選手であり、スペイン代表としてもプレー。近年ではマルコス・セナも、彼の道に続いている。ドナトは2005年、カニサレスと同じく『エル・パイス』に対して、このように話していた。
「私がスペインに着いたのは1988年のことだったが、その頃には異次元のプレーを見せる外国人選手が、たった3人しかプレーできなかった。だけどボスマン判決が生まれたことで、スペイン人選手たちが奮起するようになったのさ」
やはりボスマン判決は、どの立場から物語るかに依存している。