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ボスマン判決の当事者が語る、現代サッカーの移籍制度。選手たちの解放と自身の破滅【特集:ボスマン判決、20年後の風景】

シリーズ:ボスマン判決、20年後の風景 text by アルベルト・フェルナンデス photo by Gabriela Hengeveld, Getty Images

後悔などしていない

――レユニオンのリーグで、あなたはスター選手として扱われたのですか? しかし裁判が長引く中で、サッカーに集中しづらい状況であったとも思います。

B フランスの2部リーグでは、サン=カンタンが私を受け入れてくれたほぼ唯一のクラブだったが、あそこでプレーしていた頃は裁判の真っ最中で、そのことが頭から離れなかった。

 一人の人間にとってはあまりにも大きな障害だよ。FIFAとその弁護士、さらにはUEFA、ベルギーの協会と、金に物を言わせるすべての連中に背後から付け狙われ、抹消されようとしていたわけだからね。また判決までに5年もの歳月を要したのは、私が降伏することを期待するように、彼らが理由を付けては裁判を長引かせたからだ。

――裁判はあなたが26歳から31歳と、選手として最盛期を迎えていた5年の間続きました。法廷の争いは、ピッチ上の勝負ごとを空ろにしてしまうものだったのでしょうか?

B 疲弊していたのは当たり前だ。ほかの人間であればくじけていたことだろう。しかし、それでも良いレベルのプレーを見せていたし、レユニオンでは最も優れた選手としてメディアから話題に上げられていたよ。サン=カンタンでも成果を挙げていたが……、やはり裁判のことがいつも頭にあったし、精神的には衰弱していた。

――司法の冒険に乗り出したことを後悔しているのですか?

B そんなことはない。後悔などしていないさ。今はFIFProと良い関係を築けている。それこそボスマン判決のおかげでね。これは皮肉でも何でもないが、選手たちを守る彼らの仕事量は85%も増えた。そして私は彼らと一緒に働き、そのおかげで助けを得られている……。

 忘れてもらっては困るが、私には4歳と6歳の子供がいるんだ。時折、将来のことを案じてしまう。子供たちの養育費として200ユーロを払っていかなければならず、自分の置かれている状況は、まったく散々なものだよ。

――あなたの歩む人生は、本当に困難なもの、ということですね。子供の養育費を支払うということは、前妻がいるということであり……。

B ……多くの財産を持っていかれた。彼女はうまくやったよ。私は金を払い、払い込んだ。何より子供たちのために払い、そのほかにも……。

――多くの人々があなたに付け込んだ、と。今のような状況に陥った要因として何を挙げられるのでしょうか?

B 実際のところ、裁判を終えた後には総額で100万ユーロを受け取ったが、その内33%を税金として納め、30%を弁護士たちに払った。1995年からの私は模範的なベルギー国民で、ちゃんと税も納め続けた。しかし、収入がなかったんだ。

 余った金をできる限りうまく使っていかなければならなかったものの、結局何も残りはしなかった。家も一つ売ったし、もう一つある住まいだけが、手元に残された唯一の好ましいものだろう。

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